第64回(2011年度)新聞大会特別決議

 2011年3月11日、日本列島は大地震と大津波に襲われ、原子力発電所の重大事故に見舞われた。死者・行方不明者がおよそ2万人に及んだ東日本大震災である。

 被災地の人々が耐え、全国からさまざまな機関やボランティアが駆けつけ、闘いと支援の日々が始まった。新聞もまたその使命を果たすべく、残されたあらゆる手だてを駆使して報道を続けた。

 通信が途絶え、輪転機も回せぬ中で、どう使命を果たすか。ある新聞社は手書きの壁新聞を作り上げ、避難所に張り出した。車載バッテリーでコピー機を動かし新聞を印刷、配布した社もある。新聞発行を継続しようとするその使命感と熱意が多くの被災地にあった。

 災害援助協定を結んでいた新聞社同士の協力もあった。自家発電機を使っての印刷支援、燃料の提供……。記事は交換され、遠く離れた他社から届く被災地への応援メッセージも掲載された。また、他県の避難先に被災地の地元紙を届けたり、地元紙の題字を掲げた張り出し号外を連日発行したりする新聞社もあった。そして、各社は道路が寸断されガソリンが枯渇するなか、輸送網を死守し、新聞販売店は戸別配達を守り抜いて読者の元に新聞を届けようとした。

 取材・執筆し、紙面を作り、印刷し、配達する。この当たり前のことが極めて困難になった。避難所では届けられた新聞をむさぼるように読む被災者たちの姿があった。「新聞を必要としている読者のために」。我々は、新聞に対する人々の大きな期待を改めて感じた。そこに「新聞の原点」があった。

 復旧復興の道のりは長い。そしていまだ収束しない原発事故は、過去の経験ではとらえきれない課題と、それを冷静に乗り越えていく知識、情報を求めている。新聞は誠実で的確なパートナーでありたい。

 未曾有の大災害に、新聞協会会員社であると否とにかかわらずすべての新聞人が発揮した使命感と遂行の力を改めて分かち合おう。そして、今なお続く震災との闘いの中で、真に読者の視線に立った、社会の公器としての責務を果たし続けることを誓う。

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