シンポジウム採録「ニュースや知識をどう支えるか」

〈パネリスト〉
片山 善博 氏 (慶大法学部教授、元総務相)
斎藤 孝 氏 (明治大文学部教授)
津田 大介 氏 (ジャーナリスト)
小川 一 氏 (毎日新聞社執行役員東京本社編集編成局長)
〈進行役〉
八塩 圭子 氏 (フリーアナウンサー)

新聞の公共性を議論 ネット時代に役割を問う

 新聞協会主催のシンポジウム「ニュースや知識をどう支えるか―ネット時代にメディアの公共性を考える」が2013年6月21日、東京・隼町のホテルグランドアーク半蔵門で開かれた。文字・活字文化推進機構と共催。新聞は民主主義を支えており、民主主義の維持にはコストがかかるということを世論に訴えるべきだなどの意見が出された。討論に先立ち、新聞協会制作のVTR「新聞は人と人をつなぐ」が上映された。東日本大震災でライフラインが途絶える中、避難所に届けられた号外を受け取る人々の姿などを通じ、新聞の社会的役割を訴えた。

片山 仕事でインターネットも使うが、新聞など活字メディアは重要だ。ITの進歩で従来メディアは劣勢だが、政治ジャーナリズムの世界で果たす役割は大きい。新聞の分析・評価機能は重要だ。

斎藤 学生は友人とのコミュニケーションに時間を費やすが、あまり新聞や本は読んでおらず、世の中の動きを知らない状態で入学してくる学生が多い。学習指導要領に新聞活用が盛り込まれた意味は大きい。ネットでのコミュニケーションが拡大する一方で、人と関わる力が落ちている。

津田 個人が情報を発信する時代を迎えた。かつてマスコミが独占していた情報発信は、ネットの誕生で崩れた。新聞を読んでテレビを見れば、以前は世間の重要な動きの9割くらいは把握できた。ネットの登場で、今は相対的に6~7割ではないか。ソーシャルメディアは日本のネット利用者のうち3~4人に1人が利用しており、日常インフラになってきた。

小川 新聞協会会員紙の発行部数は、最近10年で500万部減少し、置かれた状況は厳しい。私が新聞社に入った32年前は紙と電波のメディアが強かった。これからは電子メディアを加え、使い分けていく時代になる。それを実感した契機は東日本大震災だ。被災地で食い入るように新聞を読む読者の姿を見て、電気がなくても読めて、正確なニュースを載せる新聞の生き残りに自信を持った。避難所に貼り出された被災者名簿を書き写して掲載したのは地元の新聞だ。その後も、犠牲者の生前のエピソードを一人一人紹介するなど、新聞ならではの取り組みが続いている。新たな新聞の役割についても考えていきたい。

正確性を追求、論点網羅 ネット選挙で見直される価値

八塩 活字メディアの閲読時間が減少する一方で、ソーシャルサービスの利用時間は伸びている。どう使い分けているか。

片山 じっくり物事を考える時は活字メディアを使う。ネットの文化は必ずしも成熟していない。政治は対立点について、冷静な対話を通して合意形成を目指すが、ネットは対立をことさら浮き彫りにする。新聞の特徴は異なる見解も一覧できることだ。新聞ごとに論調の違いはあるが、一方の主張だけを載せることはしない。

津田 ネット選挙では政治家が最も大変だろう。ネットでの情報発信に慣れた人には新しい対話を生むチャンスだが、慣れた政治家は少ない。情報の流れが早く、誤解もすぐに生じる。ネットを使いこなせる政治家は、素早く誤解を正し、新しいコミュニケーションのきっかけにつなげるだろう。

小川 ネット選挙で新聞の価値は見直される。ネットでは、誤りがあれば訂正すればよいという考えが主流だ。新聞は平等と正確性を徹底的に追求し、論点を網羅的に示すようこだわっている。

八塩 新聞は教育現場でも活用されている。

斎藤 最も反響の良かった新聞活用は、記事のスクラップ作成だった。切り抜くために新聞を読むと、情報のアンテナが立つ。切り抜きを続けると、ニュースが身近に感じられる。

津田 若い人たちには新聞社の記事データベースの利用を勧めている。過去のことを調べるときに、グーグルは検索履歴から利用者個人に最適化された結果を表示するため、最新情報しか示さない。これは新聞を若者に売り込むためのヒントになるのではないか。最適化されたネット検索はノイズのない情報を提供してくれるが、偶発的な出会いがなくなる。新聞が提供できる価値は、この辺りにあるのではないか。

小川 新聞の特徴は、意図して見ようとした情報以外も届けてくれることだ。復興庁幹部のツイッター上での暴言問題では、新聞記者が幹部の行動を裏付け取材し、最終的には本人にも確認した。紙面レイアウトで価値のあるニュースであることを読者に示した。テレビが新聞報道を後追いすることで、問題はネットでもさらに拡散した。単なる検索結果の表示ではなく、新聞報道が絡むことで情報の価値は上がる。

津田 その考えは楽観的過ぎる。大学生は新聞に懐疑的だ。批判は2点に集約できる。一つは新聞の編集が信用できないということだ。情報の切り取り方が作為的で、筋書きに沿った識者のコメントをはめ込んでいるように映る。復興庁幹部のツイートに問題はあったが、本人が働き者だったことも事実だ。もう一つは、横並びへの不満だ。ネット利用者は自分の報じてほしい情報がメディアに流れないと、意図的に隠蔽(いんぺい)されていると感じる。

小川 批判は重く受け止める。しかし、編集作業はどうしても必要であり、理解してほしい。記者自身もソーシャルメディアを使って取材のプロセスを開示し、読者との対話によって新たな価値が生まれるよう取り組んでいる。

片山 最近の政治家は見たくない情報を徹底的にたたく傾向が強い。批判に逆上する狭量な権力者が増えた。今の政治家は「誤報」「偏向」などとネットで反論する。「言ったことを伝えてくれない」との批判もあるが、自分とは別の人物がメッセージを受け取るのだから、それが当然だ。政治家は発言する機会が多いのだから、批判は甘んじて受けるべきだ。

八塩 新聞の役割をどう考えるか。

斎藤 「情報偏食」をなくすことだ。若い世代は、そもそも関心のないことをネットで検索しない。学生へのアンケートでは、多くの事柄が一斉に目に入ってくる点を新聞のメリットに挙げる学生が多かった。「宝探しのように記事を読むのは楽しい」と答えた学生もいた。

民主主義を支える公器 維持コストに世論の賛同を

斎藤 新聞はまんべんなく情報を届けてくれる媒体だ。宅配制度があるからこそ日本は民主主義国家となり得る。民主主義の基礎体力は新聞社の取材力に関わっており、それを支えるのは読者からの購読料だ。

(フロアから)長谷部剛・新聞協会税制に関するプロジェクトチーム座長(日経・常務取締役) 新聞社は戸別宅配網を維持している。読者からの購読料がそれを支えている。消費税率が上がると、価格に転嫁せざるを得ない。人口の少ない地域ではコストが上がる。また、新聞の価格が上がると、特に低所得者が影響を受け、地域・所得で情報格差が生じる。欧州連合(EU)諸国などでは、新聞への課税は軽減もしくはゼロ税率だ。EUには民主主義を支える公器として新聞に最も低い税率をかける共通認識がある。読者の負担を避けるよう新聞界は軽減税率適用を訴えている。

津田 社論で消費増税をうたっている一方で矛盾しているとネット側には映る。新聞ジャーナリズムは公共性と商業性の間で矛盾を抱えている。新聞の神髄は調査報道で優良な調査記事が有料サイトで公開されている。マネタイズできない調査報道は無料で公開するなど、公共のために頑張っている姿勢をより示すべきだ。

斎藤 民主主義の維持にはコストがかかる。新聞の取材力が落ちることは民主主義の力が落ちることを意味する。取材には経費がかかることを新聞はさらに訴える必要がある。世論の賛同を得ることが必要だ。

津田 チェルノブイリへの取材では不特定多数から資金協力を受ける「クラウドファンディング」を活用し、目標額以上の約600万円が集まった。新聞社もこのような仕組みの利用を考えてもいい。どうして新聞発行に経費がかかるのかを示すことが必要だ。

片山 新聞が民主主義のインフラとして権力を監視し、国民と情報を共有する力が落ちることは、由々しき事態だ。民主主義を維持するための税制の特例措置はほかにも存在する。政党交付金や政務調査費などは非課税だ。権力をチェックする側の新聞と比べアンバランスだ。新聞への軽減措置はおかしくない。

小川 新聞への批判は謙虚に受けなければいけない。新聞の機能や理念は社会に絶対に必要だ。メディアスクラムなどで迷惑を掛けてきたかもしれないが、知識への優遇措置は必要だ。

津田 新聞のデジタル対応について聞きたい。

小川 紙の新聞の設計思想は記事を重複して掲載させないことや無謬(むびゅう)性だ。ネットジャーナリズムでは、別の考えを持たなければいけない。ソーシャルメディアを使い、「○○記者のいる○○新聞」のように流れを変えていけば、紙とネットのコラボレーションもできる。

斎藤 新聞の未来を考える鍵は学校教育にある。授業で新聞の切り抜きをするには、家庭に新聞がなければいけない。親も子供と一緒になって気になる記事を探すようになると、家庭で新聞を媒介に親子コミュニケーションが生まれる。生徒が一度は新聞切り抜き授業を受ける状態が理想だ。

小川 人はいろいろな情報を持つべきだ。民主主義社会の知る権利に応えるため、紙と電子と電波をうまく組み合わせて発展させていきたい。

津田 新聞は見せ方や伝え方によりこだわるべきだ。海外の新聞は膨大なデータを解析したデータジャーナリズム記事で見せ方を工夫したインフォグラフィックスをネット展開している。こうした取り組みで公共性を示していくべきだ。

斎藤 読書や新聞の活字文化が衰えてきている。活字文化の継承に失敗したことの現れだ。それを認め、学校教育と連動して、新聞・読書文化を次世代につなげるよう活動しないといけない。読書は心の中に他人を住まわすようなものだ。本には人格がある。読書で先人の優れた知恵を受け取ることも重要だ。

片山 新聞にはもっと元気になってほしい。新聞を読むことによって知的領域が広がり、ネットでさらに情報を求めることもある。新聞は知的作業の原点だ。