取材を振り返る〖寄稿〗

「復興とは」 問い続ける【寄稿】

新聞協会賞「『東日本大震災10年』」受賞報告

河北新報社・今里直樹氏

人知と人為の極みと言うべきか、限界と見るべきか。東日本大震災の発生から10年。私たちは新しいまちへと変容していく東北を見つめ続けてきた。そこに混在する光と影。交錯する希望と絶望。震災10年報道の源流は、復興とは何だったのかという問いだった。

新聞ならではの表現方法を駆使

今里氏(河北新報社提供)

一連の報道を伝える前に、発生からちょうど10年となった今年3月11日付の河北新報朝刊を紹介したい。
1面は末面と一体化させ、ダブルフロントにした。「懸命に生きる あなたのため」という見出しとともに掲載した大型写真は、津波で3人の幼子を失った夫婦が、震災後に授かった2人の子と海辺で水平線を見るシーンだった。
震災直後に夫婦を取材した写真映像部のデスクが縁を温め続け、大切な節目の日の掲載に至った。喪失、鎮魂、再生。一つの家族の歩みを通し、河北新報が10年報道に込めた思いを、新聞だからこそできる表現方法を駆使して伝えた。

野蒜(のびる)海岸を訪れた小高さん一家。亡きわが子のランドセルやおもちゃをおたき上げした思い出の地だ
=2021年2月21日、宮城県東松島市野蒜(河北新報社提供)

センターのページには、震災発生翌日となる2011年3月12日の朝刊を再現した。「宮城 震度7 大津波」と分厚いトッパン見出しを張った衝撃の紙面だ。
再掲を巡り、社内には賛否があった。「思い出したくない人もいる」「記憶がフラッシュバックする」。掲載に踏み切ったのは、河北新報の記者が今日まで追い続けることになる震災報道の原点であり、社屋が被災しながらも懸命に発行した歴史的紙面だったからだ。「3・11を忘れない」というメッセージでもあった。

全社員アンケートで方向性定める

第2朝刊は「はぐくむ10年」というテーマの下、被災地に流れた歳月を被災地に生きる人々の姿を通し、温かみをもって伝える紙面にした。フロント面には宮城県南三陸町に住む幼いきょうだいの写真2枚を並べた。震災から5年の16年春、復興工事が進む町内を背景に手をつないで幼稚園に向かう場面と、小学生になった今の姿。兄と妹の成長を町の復興と重ね、はじける笑顔に被災地の子どもたちの明るい未来を象徴させた。
16年の写真は、震災時に南三陸町の支局に勤務していた写真部員が撮った。2人の成長を祈ったであろう記者は撮影の5か月後、病で亡くなった。思いを継ぐ形で、大きくなった5年後のきょうだいを若い同僚が撮影した。
震災10年報道の準備は19年4月に始まった。宮城に甚大な被害を与えた同年10月の台風19号豪雨を経て、報道部震災・遊軍取材班を中心に各取材班、宮城をはじめ東北各県の総支局、東京支社から意見を集め、議論を深めた。並行して全社員アンケートを実施し、紙面展開の方向性を定めていった。
当初、20年度早々に報道を始める予定だったが、そこを新型コロナウイルス禍が襲う。東日本大震災を上書きする災禍ともいわれるパンデミック下、ニュースを優先すべきだという意見もあった。「地域のニュースメディア」「被災地の新聞」という二つの立場を抱え、私たちは「二正面」で長期戦に臨む覚悟を決めた。
当初予定から3か月遅れた7月、10年報道は本格始動した。現場の記者が負った重責と負担を思うと、言葉もない。
紙面は復興政策を検証する「復興再考」(12部66回)、被災遺族や復興に関わった人々の心の軌跡をたどる「あの日から」(13部80回)の連載2本を柱に、東京電力福島第1原発事故を教訓に原発政策の虚実をあぶり出す「原発漂流」(7部40回)を同時展開した。
「復興再考」は失われた命と暮らし、そして根底から問い直された社会の在りようを見つめ直す企画だった。政府が復興期間と定めた10年が終了するタイミングで、ハード整備を伴う巨大な復興事業は誰が、いつ、どんな判断をして、現在に至ったのか。プロセスをたどりながら次代に継承すべき教訓を掘り起こした。
コロナ禍で先細る伝承活動、原発事故による風評の実相、防潮堤や高台移転のその後、グループ化補助金、復興まちづくりなど、被災の多様性や複雑性を表すようにテーマは多岐にわたった。
このうち第3部は震災直後に政府が設置し、復興の起点となる提言を作った復興構想会議の実像に迫った。会議の議長を務めた五百旗頭真氏をはじめ関係者の証言や議事録から、会議が打ち出した「創造的復興」を問い直した。
取材班は五百旗頭氏を宮城に招き、10年を経た被災地を歩いてもらった。盛り土された市街地を眺めた五百旗頭氏は「これほどの人工丘の造成は考えていなかった。思い切った大事業をやった喜びと悲しみが出ている」と語った。人口減の時代にあって、さらに過疎が加速する被災地のリアルは、復興構想会議が描いた絵図とは異なるものだったのだろう。

がらんとした部屋で、マスク越しに東日本大震災の経験を語る小斎さん
=2020年6月24日、宮城県名取市の津波復興祈念資料館「閖上の記憶」(河北新報社提供)

社会面で展開した「あの日から」は、「復興再考」で取り上げるテーマと可能な範囲で連動させ、それぞれの災後と向き合う被災者の物語をつづった。
初回のテーマは「風評」。津波で園児8人と職員1人が亡くなった宮城県内の幼稚園を舞台に、園児の命を守れなかった職員と子を失った親が手を携え、命を守るための防災・伝承活動に取り組む姿を紹介した。記者が震災直後に取材した遺族らと、つながりと信頼関係を保っていたからこそできる連載だった。「あの日から」には計68人が登場し、喪失、苦悩、希望、再起に至る人生を語ってくれた。
「復興再考」「あの日から」の各部は毎月、月命日の11日に始めた。その日に向き合う地元紙の意思を示した。
「原発漂流」は過去最悪といわれる原子力事故から10年を経て、推進と反対の二項対立を超えた原子力政策の在り方を探ろうと、3人の記者が担当した。事故発生当時、原発事業に関わるエリートたちが機能不全に陥る状況を大量の資料と取材から再現。コロナ禍の初期段階で場当たり的な対応を繰り返した政府・官邸を重ねるプロットでスタートした。
原子力施設がある青森、宮城、福島3県を中心に、「核のごみ」問題に揺れる北海道、廃炉と向き合う福井県などを訪ね、地元の声を聞いて歩いた労作だった。

記者の「伝えたい」「残したい」

上記3本以外にも特集や企画は随時、多角的に投入した。「遺族、不明者家族アンケート」は、過去に紙面に登場した158人を再び取材し、現在の心境を尋ねる大掛かりな取り組みだった。
再取材した人のうち、実名でもう一度紙面に載ることを了承してくれた121人を2ページの特集で9回にわたって紹介した。「走り回る孫たちが残像のように現れる」「骨の一部、1センチでもいい。お墓に入れて上げたい」。痛切な言葉を見出しに取り、復興とは別の時間軸を生きる遺族らの心情を伝えた。

大津波から一夜明けた防災対策庁舎。町職員10人が救助を待っていた
=2011年3月12日、宮城県南三陸町(河北新報社提供)

読者へ強いインパクトを与えたのは、南三陸町防災対策庁舎の「あの時」をドキュメントでつづった8回の連載だった。庁舎は高さ15.5メートルの大津波にのまれ、町職員ら43人が命を落とした。
庁舎の惨劇は数多くのメディアが伝えてきた。今回担当した2人の記者は、当時庁舎屋上にいた生存者11人全員のインタビューを敢行。震災発生から一昼夜の極限状況をリアルに再現した。
職員たちが高さ12メートルの屋上から見た巨大津波。庁舎屋上が波にのみ込まれ、水中に沈んだ時に去来した思い。「死ぬってこういうことなんだな」「津波に殺されてたまるか」。貴重な証言は、取材で入手した当時の写真とともに掲載した。津波の脅威と恐怖、巨大災害と向き合う命のはかなさ、死の淵に立った人間の強さを克明に描いた渾身の記事だった。
10年報道の記事量は膨大だった。津波の最大被災地・宮城県石巻市の震災関連死者の死因解明など、ここに特筆したい記事や企画はまだまだある。
21年の年が明け、3月11日に向けた1か月間を、私たちは集中報道期間と位置付けた。社内外から「震災の記事が多過ぎる」という指摘があったことも事実だ。報道部には「朝から重い震災記事を読みたくない」「独善的ではないか」という意見が寄せられた。コロナ禍関連のニュースの扱いが小さくなることもあり、「これでは新聞が売れない」との嘆きが聞こえてきたこともあった。
それでも、紙面は当初方針に沿って進められた。紙面レイアウトをする整理部門は見出しやレイアウトに工夫を凝らし、現場の気概に応えてくれた。
新聞は「今」と「明日」を多様な記事で伝えるメディアであり、読者の期待もそこにある。「読みたい」「知りたい」に応えるのは当然だろう。では、記者の「伝えたい」「残したい」はどうか。10年報道の意義は、記録性にとどまらない。被災地に立つ記者たちの「伝えねばならない」「残さねばならない」の集大成だった。
一連の報道はデスクから若手まで、ほぼ全ての記者が関わった総力戦だった。「遺族アンケート」の取材は、若手記者への震災報道継承の狙いもあり、入社1年目の記者が先輩記者から人脈を引き継ぐ形で参加した。河北新報は東日本大震災から永久に逃れられない。その宿命を社内で伝承しなければならない。取材班の思いはまさに、そこにある。

震災報道の歩みを止めない

新聞協会賞の編集部門での受賞は震災後、3回目になる。11年度の「東日本大震災」と、18年度の連載企画「止まった刻 検証・大川小事故」に続く。栄誉ある賞の受賞を重く受け止めたい。今回の受賞は、震災と原発事故という未曽有の複合災害が現在進行形であることを、多くの同業者が共鳴し、共感してくれた結果と信じ、深く感謝したい。私たちの記事がこの災害列島のどこかで、誰かの命と暮らしを守ることにつながればと切に願う。
震災報道は東北の大地と、なりわいと、人命の犠牲の上に立つ。私たちに求められるのは、震災報道の歩みを止めないことだ。震災の「伝えたい」「残したい」をこの先、どう紡いでいくか。私たちはこれからも問われていく。

<筆者プロフィール>

河北新報社
東日本大震災10年報道取材班
(代表)編集局報道部長

今里直樹(いまさと・なおき)氏

(2021年11月10日)