取材を振り返る〖寄稿〗

JODの連携で暴いた真相【寄稿】

新聞協会賞「愛知県知事リコール署名大量偽造事件のスクープと一連の報道」受賞報告

中日新聞北陸本社(前名古屋本社)・酒井和人氏
西日本新聞社・竹次稔氏

竹次氏(西日本新聞社提供)

(以下、西日本・竹次氏)

「フロアに数百人の男女、20歳から60歳ぐらいまで、ただ、ひたすら黙々と作業してました」
西日本新聞「あなたの特命取材班(あな特)」に福岡県久留米市の50代男性から、愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)署名運動をめぐり、署名を偽造するアルバイトに携わったとの一報が寄せられたのは今年2月2日夜だった。前日、愛知県選挙管理委員会が「有効と認められない署名が8割に及んだ」との調査結果を発表していた。
そのメールを受け、すぐに選管の発表資料に目を通した。距離がある愛知県での出来事で、問題については報道で知っていた程度。だが、重大な情報かもしれないという思いが強まった。

情報共有しながらの取材

「名簿の書き換え作業」と業務が書かれた労働条件通知書を示すアルバイト参加男性
=2021年2月19日、福岡県内(西日本新聞社提供)
署名活動で使われた用紙※一部画像処理(中日新聞社、西日本新聞社提供)

「詳しく聞かせていただけませんか」。翌日、取材依頼のメールを男性に返信した。間もなくアルバイト会場、契約企業名、時給などの詳細な情報が届いた。
愛知県選管の発表を受けて2月4日、リコール活動団体側が記者会見を開いた。不正署名については見事に全否定だった。あらためて投稿者の男性に連絡して聞き込むと、話がまったく食い違う。「書き写した署名用紙には高須クリニックの高須(克弥)院長や、名古屋市の河村たかし市長の写真がありましたよ」。私は焦るように取材メモをまとめた。
西日本新聞は、読者から寄せられた疑問や困り事にこたえ、課題解決を目指す「オンデマンド調査報道(ジャーナリズム・オン・デマンド=JOD)」に取り組んでいる。そして全国の地方紙を中心とした29媒体がパートナーとして連携している。JODの担当者たちはチャットなどで日常的に連絡しあい、新型コロナウイルス禍が広がる前は年に1度、一堂に会して親睦を深めてきた。
中日新聞とは同じブロック紙としての付き合いも長いが、JODパートナーの一員同士でもある。冒頭の男性からの情報は、すぐ中日新聞と共有した。名前が挙がった愛知県の企業幹部に急ぎ、事実確認が必要だと判断したからだ。両紙で署名偽造疑惑の初報を出した2月16日の後、実は同様に情報共有した別のテーマの記事が中日新聞を飾った。
リコール署名問題に関する中日新聞との連携は、この初報の後も続いた。当紙が取材した現地の情報を共有したり、中日新聞から寄せられた情報を取材相手に確認したりすることも。そのやりとりで記事になったケースもあった。
中日新聞記者と一緒に、九州で重要な取材先も回った。どのような視点でこの問題を捉えているのか、どのような方法で取材先にアプローチするのかなど、車中でやりとりしながらの共同取材は大切な刺激となった。もちろん、アルバイトを除けば事件の主要な関係者はほとんどが愛知県におり、よろよろのパス(情報共有)を中日新聞に見事にゴールしてもらった、というのが正直な感想だ。

新聞とユーザーの新しい関係

今回の共同取材はあな特という“受け皿”と、JODパートナーシップという地方紙間の連携の枠組みなしには成功しなかった。言い換えれば、この二つがなければリコール署名大量偽造事件の究明が遠のいた可能性すらある。
あな特はスタートから4年目、出した記事は約700本(10月17日時点)に達した。LINEで常時つながる「あな特通信員」は約1万4千人。署名偽造の初報が出た後、福岡、佐賀、熊本3県に在住する同通信員向けに、「アルバイトに携わった人はいませんか」とLINEで投げかけた。「ダメ元」だった。しかし、実際にかかわった数人が返信してくれた。証言はいずれも具体的だった。
寄せられる投稿に極力返信をして、取材結果を示す――。すべての依頼には到底応えられていない。それでも、あな特の営みを通して「声を聴いて、動いてくれる新聞社」という印象を抱いてくれる方が増え、今回の情報提供につながった面はあるかもしれない。期待に応える一方で、私たちも困った時には「お願い」をさせてもらう。そんな、新聞とユーザーの新しい関係を地道に築いていきたい。
愛知県と佐賀県。JODの枠組みによって、一見すると何の関係もなさそうな地域が結びつき、署名偽造の実態が明らかになっていった。それぞれの地方紙には取材網や記者の数、ネットワークで文字通り“地の利”がある。県境を遠くまたぐ案件でも、連携することで糸口を見いだす可能性をわれわれも強く感じた。
地方紙がより信頼され、地域から必要とされるために、実践をまだまだ積み重ねていきたい。

酒井氏(中日新聞社提供)

(以下、中日・酒井氏)

ゴールデンウイーク(GW)中の5月初め。中日新聞名古屋本社社会部長(当時)の吉枝道生と、愛知県知事リコール署名大量偽造事件取材班の主要メンバーが社会部の一角、ついたてに隠れたソファの周りで膝を突き合わせていた。
取材班の一人で、事件の主役ともいえるリコール活動団体の事務局長に取材を続けていた記者がつかんできた情報を紙面化するかどうか――。それが緊急会合の議題だった。
その記者によると、それまでメディアに対し、偽造への関与を一貫して否定し続けてきた事務局長が一転して、アルバイトによる署名の書き写し作業を業者に「依頼した」ことを認めた――というのである。日本中のあらゆるメディアの中で、その記者が最も事務局長を取材してきたであろうことはチームの誰もが認めるところ。告白の内容は後日、とぼけられることがないよう、しっかりとした形で記録もしていた。ただ、違法性の認識については「無かった」と否定しており、紙面化するなら当然、そのことも記す必要がある。
実はそれまでの取材では、事務局長は違法性を認識していたというのが取材班の感触だった。紙面化すれば一部とはいえ、これまでの取材結果を裏切る内容を読者に伝えることになりかねない。
「真相は違うと感じている内容を報じるのは読者に不誠実じゃないか」
「『依頼』を認めただけでも大きなニュース。他社に先に書かれる可能性もある」。議論は平行線のまま、4時間を超えてもなお、折り合いがつかない。
「出そう」――。最後は吉枝が決断した。1面では扱わない▼違法性に関する発言については「疑わしい」ことを明示する――などを条件に、記事は5月3日付朝刊の社会面トップを飾った。

民主主義を揺るがす暴挙

そもそも、今回のリコール運動の発端は、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」で、昭和天皇の肖像入りのコラージュ版画を焼いたり、残り火を踏んだりする場面が含まれた映像作品や、慰安婦を表現したとされる少女像が展示されたことだった。「反日プロパガンダ」などの批判が殺到。ガソリンを使ったテロを示唆する脅迫まであり、企画展は一時中止に追い込まれる騒ぎとなった。
脅迫は論外だが、名古屋市の河村市長や、美容外科「高須クリニック」の高須院長ら著名人が批判に同調。高須院長をトップに、トリエンナーレの実行委員長だった大村知事のリコールを求める活動団体が設立され、河村市長も「応援団」を自認して支援に乗りだした。運動はイデオロギー対立や、大村知事と河村市長の政治闘争の色彩も帯び、大きな注目を集めた。
一連の報道で端緒となった情報は竹次氏が先述したとおり、JODのホットラインを通じて送られてきた。当時、名古屋社会部の「Your Scoop(ユースク=中日新聞のJODタイトル)」担当デスクとして送信内容を見た際の衝撃は今も忘れられない。
愛知県選管に提出されたリコール署名に同一の筆跡や指印、故人の署名などが大量に確認されたことは既に報じられていた。ただ、こうしたことは個人の間違った熱意が積み重なることでも起こり得る。何らかの組織的関与を疑う声はあったが、あくまでも根拠のない疑惑にすぎなかった。それが「アルバイトによる大量偽造だった」というのだ。
言うまでもなく、日本の民主主義、地方自治にとってリコールは選挙と対をなす根幹とも言える制度だ。住民自身が知らぬ間に民意が組織やカネの力によって曲げられたとすれば、民主主義を揺るがす前代未聞の暴挙といえる。

記者の熱意が結実した調査報道

愛知県警に逮捕され、滞在先のホテルを出るリコール活動団体の田中孝博事務局長(当時・右から2人目)
=2021年5月19日、静岡県内(中日新聞社提供)

すぐに部内で取材チームを編成。日々の取材は県警、県政担当の記者が中心となったが、事件に奔走する間のバックアップなども含めれば無関係だった部員はいない。署名集めは全県で実施されており、県内各地に散らばる関係者取材や関連資料の収集分析など、社会部以外の総支局からも応援を得た。事務局幹部だった愛知県常滑市議(当時)の懐に入り込み、「事務局長の指示で不正に指印を押した」との独白を得たのは地元支局の記者だった。
警察の捜査情報ではなく、取材を積み上げて真相に迫るのが調査報道だ。一部取材は警察の捜査と並行あるいは先行してきたと自負するが、その分、記事掲載の責任もすべてわが身に返る。「調べでは……」と言った常とう句に逃げることはできない。発信力のある著名人が関わった運動をめぐる事件であり、4月には名古屋市長選もあった。一歩間違えば、批判の矢は雨となってこちらに降ってくるだろう。
だからこそ重要な内容は記録を取ることにこだわった。関係者の証言を幾重にも重ね、情報公開請求なども使って裏取りを徹底した。できないネタは捨てた。
そして、何よりも関わった記者たちの熱意が真相に少しずつ近づくことを可能にしたのだと感じる。
一連の報道は本年度の新聞協会賞受賞につながった。望外の喜びだが、将来、思い出すのは授賞式の光景よりも、GW中の夜、青臭い議論を交わす記者たちの姿だろうなぁと思う。

<筆者プロフィール>

中日新聞社
愛知県知事リコール署名大量偽造事件取材班
(代表)中日新聞北陸本社編集局報道部長(前名古屋本社編集局社会部次長)

酒井和人(さかい・かずと)氏

西日本新聞社
愛知県知事リコール署名大量偽造事件取材班
(代表)西日本新聞社編集局クロスメディア報道部デスク

竹次稔(たけつぐ・みのる)氏

(2021年11月10日)