取材を振り返る〖寄稿〗

決意が撮らせた一枚【寄稿】

新聞協会賞「『ぬくもりは届く』~新型コロナ 防護服越しの再会~」受賞報告

毎日新聞東京本社・貝塚太一氏

新型コロナウイルスの猛威により、手を握ることすらできなくなっていた母と娘。宇宙服のような防護服を着て面会がやっとかなった娘は、老人ホームで暮らす母の部屋に入った瞬間、「お母さーん!」と声を上げて駆け寄り、互いの体温を確かめ合うように抱き合った――。新聞協会賞に選んでいただいた写真は、そんな一枚だ。
私は2018年4月から、2度目の北海道勤務をしている。20年に入って間もなく、道内は全国に先駆け新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われた。どこよりも早く不要不急の外出自粛要請が出され、学校は一斉休校になった。繁華街は閑散とし、ドラッグストアにはマスクを買い求める人の行列ができた。急激に変わる景色をどう写真で表現するか。長い自問が始まった。

体に染みついた口元を覆う習慣

貝塚氏(毎日新聞東京本社提供)

4月末からの大型連休。緊急事態宣言が発令され、日本有数の歓楽街である札幌・ススキノはゴーストタウンのようになった。普段は観光客と地元民が入り交じってにぎわう通りには、若者がぽつりぽつりといるだけ。コンパクトカメラを手に連日、夜から明け方にかけて街を歩き続けた。
ネオンを消してこっそり営業する店、雑居ビル前を通る着飾った女性、ビル屋上の止まった観覧車、朝方に現れる猫、ホテル街に落ちていたマスク……。日時だけのキャプションを付け8枚の写真グラフとして紙面化した。
「ステイホーム」が続く中、ちまたでは自宅での新しい楽しみ方も生まれた。全国各地でのキャンプ動画を配信してきた札幌市在住のユーチューバーが、自宅マンションの部屋にテントを張って「家キャン」(家でのキャンプ)する様子も取材した。公園では、立ち入り禁止のテープが巻かれた遊具の前を、子どもたちが虫取り網を手に走り回っていた。ほほえましく、同時にたくましさも感じた。
カメラマンにとって厄介だったのは、マスクの存在だ。これまでは医師や研究者らを除き、撮影時にマスクを外してもらうのは常識だったが、それが通じない。写真において口元の動きは、被写体の感情を表す大きな要素だ。笑う、ゆがめる、真一文字に結ぶ……。その要素なしに目だけで感情を表現するのは、思った以上に難しかった。
こんなこともあった。花粉症でもない私は、コロナ前までマスクを着けた記憶すらなかったが、銭湯を利用した際に「全裸でマスク」という珍妙な格好で浴場に入ってしまったのだ。洗い場に座り鏡を見て初めて気付いたのだが、扉を開けた瞬間、周囲から向けられたいぶかしげな視線を今も覚えている。それだけ口元を覆う習慣が染みついていたということだろう。

同僚からの連絡が光明に

ワクチン接種の見通しも立たず、行動制限以外に感染拡大を止めるすべがなかった当時、どうしても撮りたい写真があった。「会いたくても会えない家族」の姿だ。
札幌に着任して早々、親しくなった近所のご婦人がいた。和やかな笑顔と、明るい声。単身赴任の私を気遣ってくれ、とても癒やされていた。
彼女の夫が他界したのは、コロナが広がって間もない昨年4月だった。亡くなった2日後、玄関先で見かけて声をかけた時にそう知らされた。笑顔はいつものままだったが、声は沈んでいた。「入院中から面会できなかった」「亡くなった時もそばにいられなかった」「その日に焼かれて、顔も見られなかった」。言葉の重さに、コロナという未知のウイルスの残酷さを痛感し、やりきれなかった。
病院や葬儀場などに取材を申し込んだが、許可はどこからも出なかった。無理もない。家族でさえ入れない場所に、他人の私が入る余地などなかった。病院や葬儀場の関係者だって、会うことを妨げたいわけではない。感染防止を考え抜いた上での対応であり、丁寧な断りの言葉を聞くたびに心苦しさが募った。
当たり前だった家族のつながり、人と人との快適な距離感や触れ合いの機会を奪っていく。心のありようまで変えようとするウイルスを、どう写真で表現すればいいのか。大きな壁にぶち当たっていた。懇意にしてきたご婦人は、その後ふさぎ込みがちになり、私も家族が来て引っ越しをして以降、会えていない。
光が見えたのは9月中旬。同僚のおかげだった。東京本社写真映像報道センターの竹内紀臣記者から「空気感染や飛沫感染を防ぐ新しい防護服の初納入が、札幌の老人ホームになる予定です」と連絡があった。竹内記者はテレビ番組でテントなどを作っている大阪の企業が宇宙服のような防護服の開発を進めているのを知り、土曜日夕刊の一面写真企画「読む写真」の題材にならないかと企業側と交渉をしていた。
物々しい防護服越しでの再会。会えなかった家族がようやく会える場面を写真に撮ることで、コロナがもたらした社会の変容、それを超える人の感情を表現できるかもしれない。そう直感した。この時期、竹内記者が東京から札幌に行くのは難しい。大阪本社写真部時代に一緒に仕事をしてきた信頼関係もあり、彼女から私が取材を引き継ぐ形になった。
約1か月かけてメーカーや防護服を購入した介護付き有料老人ホームの了承・取材許可を取り付け、8か月ぶりに母に会う家族の取材同行ができる運びになった。この間も、札幌市内の感染状況は日々変動し、面会を始める日が遅れるなど、取材自体がどうなるかが直前まで分からない状況だった。

衝動的な抱擁にためらいと焦り

施設の職員に手伝ってもらうと2、3分で着ることができる防護服
=札幌市北区で2020年10月29日、貝塚太一撮影(毎日新聞東京本社提供)

10月29日の取材当日、部屋に入る前、同行取材をOKしてくれた箕浦尚美さん(63)から、入居する母の中島万里子さん(90)のことを聞かせてもらった。
いつも普通に会っていた家族と会えない苦しさ。当たり前の日常が奪われていく悲しさ。箕浦さんは、そんなことを話してくれた。だが、その意味を私はきちんと理解できていなかった。振り返ると、そう思う。
防護服を着る場面を動画と写真で記録し、一緒にエレベーターで階上に。部屋に入った瞬間、箕浦さんは両手を広げて駆け寄り、母を抱き締めた。私は完全に不意を突かれた。
私の母が施設や病院にいる祖父母に会いに行く時、あるいは取材でこうした面会に同行させてもらった時、衝動的に「抱き合う」という場面を見たことがなかった。イメージしていなかった目の前の光景にためらいと焦りが生じた。

防護服を着て歩く姿は宇宙服のよう
=札幌市北区で2020年10月29日、貝塚太一撮影(毎日新聞東京本社提供)

その時の装備は、左手に動画撮影用の小さなアクションカメラ、右手に一眼レフカメラ。箕浦さんより一瞬遅れて部屋に入り、左手のアクションカメラは感覚だけで動かし、一眼レフカメラを右手1本で必死に撮影した。一眼レフに付けていたのは24ミリの単焦点レンズで、ピントを浅く設定していたため、ちゃんと撮れているか不安で仕方なかった。
その後、母娘はベッドに腰掛けて、互いの手を取りながら8か月の空白を取り戻すかのように話をしていた。中島さんの涙声には、目頭が熱くなった。家族を引き裂くコロナ禍の苦しさ、悲しさは、これほどだったのか。それでも「会いたい」「つながりたい」という市井の人々の強い願いに、心が震えた。
会社に戻りパソコンで確認すると、ピントの合った1枚の中に中島さんの表情を捉えたカットがあり、ほっとした。一瞬と思えた抱擁は6秒間。シャッター音が響かない設定にしていたので12枚しか撮れておらず、左手のアクションカメラが写真に写り込んでいたり、ピントが微妙に合っていなかったりした失敗写真も多かった。

8か月ぶりの母・中島万里子さん(左)との面会で、防護服「メディコン」を着て抱き合う箕浦尚美さん [受賞作品]
=札幌市北区で2020年10月29日午後3時、貝塚太一撮影(毎日新聞東京本社提供)

強い思いがつながった場所

この写真に写っているのは箕浦さんと中島さんの2人だけだが、見えない背後にはコロナと闘う多くの人たちの思いが詰まっていると、私は思っている。
防護服「メディコン」を開発した太陽工業(大阪市淀川区)は、大型テントで世界シェア1位のメーカーだ。以前から手がけていた医療用の陰圧テントの需要が、コロナ禍でPCR検査や感染者の隔離用の空間として高まっていた。荒木秀文社長(54)は、この技術を応用して「感染しない空間を一緒に連れていけるなら、コロナ禍でも人々は行動できる」と考えた。背中のファンから外気を取り込み、頭部にある二つの高性能フィルターを通して内部の空気を排出する。こうすれば、仮に感染者が中に入ってもウイルスが漏れる可能性は極めて低い。
残る課題は、どうすれば快適に動けるか、耐久性をどう高めるか。相手と触れ合うために手は出す仕様にしたい。一つ一つ改良を重ね、最終的にニーズが最も高いと分かった病院や高齢者施設用にそれぞれ特化した形で、開発開始から5か月かけ完成にこぎつけた。
撮影の舞台になった札幌市北区の老人ホーム「フルールハピネスしのろ」も、試行錯誤を重ねてきた。昨年2月に入所者への面会を禁止にした後、4月にはタブレット端末を使った面会を導入。それでも「実際に会いたい」という家族の声があり、新たな対応を模索していた。運営する「萌福祉サービス」の水戸康智代表(45)は「入所者の命を守りながら、ご家族の思いをかなえる手立てはないか考えていた。この防護服をテレビで見て、すぐに開発した会社にメールした」と振り返る。施設はその後も、感染状況を勘案しながら柔軟に対応を変えている。
私が報道カメラマンを志したのは、一枚の写真がきっかけだ。教員志望だった大学4年の時、大阪・天王寺で開かれていた「写真の世紀展」をたまたま訪れ、戦時下のパレスチナの子どもの写真に衝撃を受けた。一人の少年が悲壮な表情で石を投げようとしている。それだけの写真から目を離せず、立ち尽くした。「一枚の写真で世界を変えたい」。そんな青臭い決意をしてから20年になる。
受賞作は、母娘の愛情に加え、多くの関係者の「この世界を守りたい」という決意が撮らせてくれた写真だ。強い思いがつながった場所に、あの時、偶然私が立っていたことで、歴史と栄誉ある賞がいただけた。取材に関わった関係者や私を鍛え育ててくれた皆様に感謝するとともに、たった一人であっても見た人の心に届く写真を撮影していきたいと、心に刻んでいる。

<筆者プロフィール>

毎日新聞東京本社
新型コロナ写真企画取材班
(代表)北海道支社報道部写真グループ

貝塚太一(かいづか・たいち)氏

(2021年11月10日)