祭典の舞台裏での癒着の構図【寄稿】
「『五輪汚職事件』を巡る一連のスクープ」受賞報告
「東京五輪のスポンサー企業について、東京地検特捜部が内偵捜査を進めている」。取材班がそんな情報を耳にしたのは今年の春のことだった。新型コロナウイルス禍を乗り越え、57年ぶりに東京で開催された祭典の舞台裏で、まさか法に触れる行為が行われていたのか?――。最初は半信半疑だった。
コロナ禍の五輪

まず、昨夏の東京五輪・パラリンピックのことを振り返りたい。
国内での夏季五輪・パラは、1964年以来、2度目のことだ。当初は2020年に開催される予定だったが、新型コロナウイルスの流行で史上初の延期に追い込まれた。その後も感染拡大に歯止めがかからない中、選手や大会運営者、ボランティアら関係者たちが懸命に準備し、翌21年、大部分の会場を無観客にしてようやく開催にこぎ着けた。
日本選手団は五輪で夏冬を通じて最多となる58個のメダルを獲得。パラでも史上2番目に多い51個のメダルを手にした。「世界」に正々堂々と挑んだ選手たちの戦いぶりは、災害やコロナ禍などで
一方で、東京五輪・パラは数多くのトラブルに見舞われた。新国立競技場は一度、建設計画が白紙撤回され、大会エンブレムでは盗用騒ぎが起きた。大会組織委員会会長だった森喜朗・元首相は、女性蔑視と受け取れる発言をした責任で辞任。開会式の演出担当者らの辞任や解任など、開幕直前まで問題が続いた。
16年には、日本の招致委員会がシンガポールのコンサルタント会社に計約2億3000万円を送ったとされる疑惑が浮上し、長年にわたり日本オリンピック委員会(JOC)会長を務めた竹田恒和氏がフランス司法当局の捜査対象となった。五輪など世界的なスポーツイベントを巡っては金銭疑惑がたびたび発覚しているが、国民の多くが、「東京五輪でもカネか」とダーティーなイメージを抱いたことだろう。
そんな中で、数々の政界事件を摘発し、汚職捜査を得意とする東京地検特捜部が水面下で動いているとの情報を入手し、取材班は色めき立った。
地道な取材数か月

=2022年7月28日、横浜市都筑区(読売新聞東京本社提供)
これまでの取材経験から、特捜部がスポンサー企業に関する汚職事件の摘発を目指しているのではないか、と直感した。スポンサー企業の選定などで不透明な現金授受があったとすれば、大会運営の公正性を揺るがす事態となりかねない。取材班はさっそく情報収集にとりかかった。
東京大会の国内スポンサーは68社。大会組織委員会から「マーケティング専任代理店」として委託されている大手広告会社「電通」が募集業務を行い、組織委が選定していた。取材班は各種資料や公開情報を分析するとともに、スポンサー選定の過程などについて、組織委側やスポンサー企業の関係者らから幅広く証言を集めた。
取材を始めてから数か月。情報をつなぎ合わせていくと、組織委理事だったある人物と、特定のスポンサー企業を巡る不透明な関係が浮かび上がってきた。元理事は、電通出身で国内外に豊富な人脈を持ち、「スポーツビジネスの第一人者」との呼び名もある高橋治之氏。企業は、日本選手団が開会式などで着用する公式服装を作製した紳士服大手「AOKIホールディングス」だった。

さらに取材を進め、AOKIがスポンサーになる約1年前の17年9月、元理事が代表を務めるコンサルタント会社がAOKI側とコンサル契約を結び、月100万円を受け取っていたことを把握。組織委理事は法令で「みなし公務員」と規定され、職務に関して金品を受領すれば刑法の収賄罪に抵触する。AOKI幹部が特捜部の任意の事情聴取に「五輪事業における高橋氏の力に期待した」などと説明していることもつかみ、取材班では「純粋な民間同士の契約ではなく、実態は賄賂ではないか」との見方を強めた。
7月に入り、元理事に話を聞いた。元理事は、コンサル会社とAOKI側の間の資金のやりとりを認めた一方、「スポーツ全般の相談に乗っていた」と説明し、「理事の立場で組織委の事業など利害に絡むことは一切していない」と不正を否定した。
取材班は、本社の一室にこもり、取材結果をもとに、AOKI側による資金提供の意図や元理事の説明との関係性、理事の職務権限などについて検討を重ねた。
国際オリンピック委員会(IOC)の倫理規程は、組織委を含む五輪関係者が大会に関わる報酬や手数料などを受領することを禁止している。元理事がAOKI側から資金提供を受けていたことは、AOKI側の特捜部への説明も重ね合わせれば、少なくともIOC規程に反し、大会運営の公平性を疑わせる事態だといえる――。取材班はそう理解した。
一方、組織委の定款では、理事の権限は大会準備や運営に関する事業を行うとされているのみ。収賄罪の立証に不可欠な「具体的な職務権限」を検察当局がどう認定しようとしているのかなど、詰めの取材を続けた。

=2022年7月27日、東京都庁(読売新聞東京本社)
7月20日付朝刊1面で「五輪組織委元理事 4500万受領か」と報じたスクープは、捜査態勢の強化などさまざまな情報を総合的に吟味し、取材班の全員が「刑事事件への発展は揺るがない」と確信したことを踏まえたもので、外国通信社が同日中に配信し、海外にも衝撃を広げた。記事では、元理事と特定スポンサー企業との間で不透明な資金のやりとりがなされ、特捜部が捜査しているといった骨格のほか、AOKI幹部の「五輪の公式商品がスムーズに販売できるようになることを期待した」との供述など核心の情報を盛り込んだ。これらに加え、不正を否定する元理事の主張も掲載し、一方的な報道にならないよう努めた。
約1か月後の8月17日。特捜部は元理事を受託収賄容疑で、AOKIの幹部ら3人を贈賄容疑で逮捕。9月には、新たに出版大手「KADOKAWA」の会長ら3人を元理事に対する贈賄容疑で逮捕した。AOKI、KADOKAWAのほか、特捜部は広告大手「大広」、駐車場運営会社「パーク24」への捜索も関係先として実施するなど、事件はさらなる広がりを見せている。
汚職の背景は
取材班は当初記者6人でスタートしたが、特捜部が元理事への強制捜査に乗り出した7月末以降からは倍増させ、五輪を巡るビジネスの歴史や問題点など広範に取材を重ねた。元理事の最初の逮捕に合わせ、8月18日付朝刊から始めた連載「五輪汚職」で事件の背景を描いた。
3回にわたる連載では、関係者の証言などをもとに、電通元専務の元理事が「五輪利権」を握るまでの存在になった過程を検証。続いて、AOKI側の事情を説明し、元理事との「癒着」に至った経緯を説明した。さらに、1984年ロサンゼルス大会以降、五輪のスポンサーセールスなど多くの権利を獲得した電通が、東京大会でもスポンサー集めを担ったが、各業種の中でどの企業を優先的に募集したかなど、その過程は明らかにされず、組織委は追認するだけとなっていた実態を指摘した。
東京大会の開催経費は当初計画から増額を重ね、結局、1兆4238億円にも達した。このうち、国と東京都から7800億円超の公費が投入された。にもかかわらず、組織委は公益財団法人のために情報公開制度の対象になっておらず、「清算法人」に移行した今では第三者による検証も難しい。大会運営を巡る数々の「ブラックボックス」が、汚職事件を生む土壌となっていた――そう指摘せざるを得ない。
対面の重要性
社会的な不正を追及する報道は、社会部記者の大きな役割だが、功名心が先走って事実関係が曖昧なまま打ち出せば、当事者の名誉を不当に傷つけてしまいかねない。とりわけ、今回は世界的な関心が集まる「五輪」がテーマで、衝撃度は計り知れない。社会部司法キャップの私は、各記者への取材指示とその結果の吟味を繰り返し、原稿の精度を高めながら、記事を打ち出すタイミングを誤らないように努めた。
取材班は男女10人余り。地方支局から社会部に配属されて間もない記者や、ほかに専門分野を持っている記者もいる。私は、各記者と十分に意思疎通を図ることが重要と考え、取材で得た情報の信頼性や記事の内容などについて「言いたいことを言い合おう」と呼びかけた。日々の取材手法はもちろん、重要な証言が得られたときの相手方の言葉のニュアンスといった「評価」まで、取材班では活発な議論が行われた。
新型コロナウイルスの感染拡大で、取材現場も大きな影響を受けている。感染対策が求められ、オンラインでの取材が増えた分、記者が取材相手を訪ね、直接話を聞く機会は減ったのかもしれない。私の職場でも、記者同士が接する機会を減らし、連絡にはメールやチャットを活用している。
ただし、取材を振り返ると、記事の根幹部分や今後の展開を指し示す重要な情報を得るのに対面取材は欠かせないと感じた。また、重要な記事を掲載する時、取材の方向性を決める時といった場面でも、取材班のメンバーが一堂に会して意見交換することで、お互いの考えについて理解を深めることができた。「取材相手に直接会って話を聞く」「情報の信頼性を複数の記者で検討する」。感染リスクを避けることが前提だが、一連の記事は、記者としての基本動作に徹した「チーム取材」のたまものだと考えている。
汚職事件は、2030年冬季五輪・パラリンピックの札幌招致に暗い影を落としていると聞く。だが、事件による「負のイメージ」を懸念する前に、検察当局による事件の解明、不祥事を含めた東京大会全体の検証、再発防止策の策定が先だろう。取材班は視野の広く、意義の深い報道を続け、事件の教訓を後世に伝えていくつもりだ。
<筆者プロフィール>

読売新聞東京本社
五輪汚職事件取材班
(代表)編集局社会部主任司法キャップ
稲垣信(いながき・まこと)氏
(2022年10月11日)