取材を振り返る〖寄稿〗

悲劇を伝える責務【寄稿】

「安倍晋三元首相銃撃事件の写真報道」受賞報告

毎日新聞社・久保聡氏

左拳を振りながら、いつもの口調で演説していた安倍晋三元首相が、爆発音の直後に突然倒れた。首相を退いた後も影響力がある安倍氏を、一目見ようと集まった多くの聴衆の目の前で銃撃事件が起きた。選挙スタッフに抱えられて横たわる安倍氏は意識がない様子で、白いシャツに血が染まり、左胸にあった議員記章も外れていた。駆け寄った警視庁のSP(セキュリティーポリス)が首の辺りをのぞき込むように見つめている。新聞協会賞に選んでいただいた写真は、銃撃直後の安倍氏を間近で撮った一枚だ。

社内の論議を経て掲載

久保氏(毎日新聞大阪本社提供)

日本の新聞では、遺体や重体の人の写真を掲載することは基本的にない。私が勤務する毎日新聞奈良支局にも「写真が生々しすぎる。掲載しないでほしい」と読者から苦情が寄せられた。ただ、安倍氏は憲政史上最長の政権を担った実力者で、事件は世界中に報じられる大事件となった。写真掲載については社内で論議され、比較的穏やかなカットを選び、一部モザイク処理も施した。私も、事件の悲惨さを後世に伝える責務があると考えた。
民主主義の根幹を成す選挙の遊説中に銃撃され、亡くなられた安倍氏のご冥福を心から祈りたい。
事件は2022年7月8日午前11時31分、奈良市にある近鉄大和西大寺駅北口で起きた。参院選の応援演説をしていた安倍氏は後方から、山上徹也容疑者(42)=殺人容疑で送検、鑑定留置中=に手製の銃で撃たれ、亡くなった。私は支局の選挙キャップとして奈良選挙区の情勢分析のため、安倍氏の遊説を取材していた際に事件に遭遇した。
6月22日公示、7月10日投開票で実施された第26回参院選。奈良選挙区では当初は自民候補が優位とみられていたが、維新候補に激しく追い上げられているとの情報もつかんでいた。選挙は候補者らの言動や社会情勢などで揺れ動くことがある。演説会場でその「空気感」を確かめるため、各党候補の演説や応援演説は、できる限り現地で取材するように努めていた。
事件当日の安倍氏の奈良入りは、前日の7日午後に急きょ決まった。6月28日に続く2度目の来県の情報は午後7時半ごろに流れ、深夜になって記者クラブを通じて当日のタイムスケジュールが届いた。
自民候補は当初、奈良市にある別の駅前で街頭演説会を開く予定だったが、安倍氏の来県が決まり、会場は事件現場となった大和西大寺駅北口に変更された。というのも、この駅は県内有数の主要ターミナル駅で人出が多いからだ。「安倍さんが来るのに聴衆が少ないのは許されない。急な話で動員も間に合わなかったので会場を変えた」と、事件後に地元の自民関係者が教えてくれた。

演説場所の危険性

公示3日後の6月25日に、茂木敏充・党幹事長が安倍氏と同じ場所で応援演説をしている。四方をガードレールに囲まれた道路上の「中州」のような場所で、茂木氏がマイクを握って候補者を推す姿を取材した。その際に「危ない場所だな」と感じたことを覚えている。茂木氏がいる中州の左右と背後の道路は車やバイクがひっきりなしに通り、前方の横断歩道も市民らが歩いている。車道や横断歩道から演説台は数メートルしか離れておらず、茂木氏の周りを絶えず車や人がぐるぐる回っているような形だ。安倍氏が演説した際も交通規制はされなかった。
事件当日は暑かった。午前11時ごろに大和西大寺駅に着き、演説場所に向かった。多くの聴衆が広い歩道に集まっていた。汗を拭っている人もいる。歩道の点字ブロックの上に立たないよう、スタッフらが聴衆に呼びかけていた。民間の警備員が横断歩道で交通整理に当たり、候補者や地元選出の国会議員、県議らが既に待機していた。
11時10分に演説会が始まると、国会議員や地元首長、県議らが高さ約40センチの赤色の演説台に代わる代わる立ち、聴衆に向かって演説を続けた。私が12分に撮影した写真には、中州の南東の歩道に立つ山上容疑者が写っている。腕を組み、聴衆の方向を見ている。すぐそばにはスーツ姿の警察官も立っていた。
県議の演説中、安倍氏がハイヤーで到着。中州に入って手を振ると、聴衆から歓声や拍手が起きた。「みなさん、こんにちは」。演説台に立った安倍氏は左の拳を振り、顔を左右に向けながら力強く語り始めた。私は聴衆に交じって演説の様子や聴衆の反応を見ていた。安倍氏は候補者の人柄を紹介し、支援を求めていた。
演説が始まって2分ほどが過ぎた時に突然、足元から振動を感じる「ドーン」という爆発音が響いた。近くの聴衆の何人かは驚いて首をすくめた。「えっ、何?」という声も。安倍氏を見ると、マイクを持ったまま後ろを振り返ろうとしていた。その直後に2回目の爆発音がして白煙が広がった。
安倍氏は自ら演説台を降りて倒れ込んだ。後方の車道で、スーツ姿の複数の警察官らが誰かを取り押さえるのが見えた。爆発音と関係しているのは明らかだが、具体的に何が起こったかは、すぐには分からなかった。倒れたのは安倍氏だけだった。聴衆は騒然となり、選挙スタッフが安倍氏を抱えている。「何がどうなっているのか」。私は安倍氏に向かって駆け出した。

迷わず駆けより撮影

詳しく確認する必要があると考え、安倍氏のそばまで近づいた。なぜだかあまり迷うことはなかった。安倍氏の首の辺りをよく見ると、前側に弾痕のようなものが見えた。最悪の予感がした。目の前で起きていることがにわかに信じられなかったが、「この状況を記録しなければ」と思った。
ガードレールぎりぎりまで体を寄せ、腕を伸ばしてスマートフォンをできる限り安倍氏に近づけて撮り続けた。冷静にシャッターボタンを押したつもりだったが、手が少し震えていたのか、後で見返すと、ややぼやけている写真もあった。
あおむけの状態で支えられている安倍氏の顔色は急激に悪くなるのが分かった。他の国会議員や県議らがぼうぜんとしていた。首長の一人は「どなたか医療従事者の方はおられませんか」と聴衆に向かって叫んでいた。アスファルト上に寝かされた安倍氏の口は少し開き、目もうっすらと開いていた。しかし、息をしているようには見えず、眼球は動いていなかった。演説会場の近くにいた複数の医療従事者が首の辺りをハンカチで抑え、蘇生を試みる心臓マッサージを施した。誰かが持ってきたAED(自動体外式除細動器)も装着された。
自身の応援演説に来た所属派閥の長を襲った惨劇に、候補者は「自分のせいだ」とむせび泣いていたが、私を見て「撮るな。人としてどうなんだ」と強い口調で詰め寄った。心情を思えば当然だろう。「記者なので」。候補者の方を見ずに答えた。陣営スタッフからも腕をつかまれたが、取材を続けた。記者として間違っていたとは思わないが、もちろん心苦しい気持ちもある。
警察官4人に押さえつけられている山上容疑者は暴れる様子もなく、無言だった。その後、警察車両に乗せられて連行された。銃撃から約10分後に救急車が到着し、安倍氏はブルーシートで隠されて運び込まれた。2台のスマホで100枚近くの写真を撮影し、動画も記録した。
途中、私は奈良支局に電話でこう一報を入れている。「テロだ。目の前でテロが起きた。演説していた安倍さんが倒れた」。何度か電話でやり取りし、撮影した写真を次々に送った。口で説明するより早いと思ったからだ。写真は事案の重大さをより鮮明に素早く伝えることができる。
翌日の毎日新聞朝刊1面に掲載されたのは、倒れた直後の安倍氏を連続して撮影した写真のうち、最初の頃に撮った一枚だ。その後の写真では安倍氏の顔色や表情も変わってきている。撮影した写真や動画の中には、新聞紙面やニュースサイトへの掲載は明らかに難しいと思える生々しいものもいくつかあった。現場では気付かなかったが、左上腕部にも弾痕のようなものがあるなど、撮影した写真や動画を見直して分かったこともあった。
今は大半の人がスマホを持ち、誰もが簡単に写真や動画が撮れる時代だ。事件当日も、安倍氏が演説を始めると多くの人がスマホのカメラを向けていた。銃撃の瞬間を捉えた動画もあり、動画投稿サイト「ユーチューブ」にも投稿された。事件後に現場に駆け付けた記者らは事件の瞬間を撮った人を探し回っていた。
ただ、銃撃直後に演説場所へ駆け寄って撮影した聴衆や報道関係者はいなかった。誰でも近づいて撮ることは可能な状況だったが、そうしなかった。私はなぜ迷わずに横たわる安倍氏に近づいて撮影したのか。あらためて考えると、失敗談が思い出された。

銃撃され手当てを受ける安倍晋三元首相(中央)
=奈良市の近鉄大和西大寺駅周辺で2022年7月8日午前11時31分、久保聡氏撮影(毎日新聞大阪本社提供、画像の一部を加工しています)

昔の失敗がきっかけに

長崎支局にいた入社5年目の03年、長崎県諫早市でJR長崎線の特急列車が脱線して横転した事故で、私は消防団員が列車の車内から負傷者を救出する場面を撮らなかった。団員から「写真を撮らずに救出を手伝え」と言われたからだ。辺りは真っ暗で私の車のヘッドライトで現場を照らして協力した。血まみれの負傷者を撮ってはいけないと、ためらった面もある。後で「事故直後の写真をなぜ撮らないのか。お前は記者なのか」としかられた。「記者というのは『記録する者』だ」と大先輩から厳しく指導されたことが忘れられない。
14年に当時の兵庫県議が政務活動費の不正受給を巡って開いた記者会見で突然号泣した際も、私はかわいそうに思ってか写真を撮らなかった。しかし、県議のあまりの号泣ぶりはテレビ映像や新聞の写真で広く報じられ、撮影しなかった私はまた上司に怒られた。こうした失敗を続けて取材対象に迫るようになったのだろうか。
政界実力者の安倍氏が狙撃された今回の事件。取材ではなくプライベートで同じような惨劇が目の前で起きたら、どうするだろう。たぶん、居合わせた「記者」として、できる限り近づいて撮影するのではないかと思う。

<筆者プロフィール>

毎日新聞社
奈良支局

久保聡(くぼ・さとし)氏

(2022年10月11日)