司法の頂点を動かしたもの【寄稿】
「神戸連続児童殺傷事件の全記録廃棄スクープと一連の報道」受賞報告
「後世に引き継ぐべき記録を多数失わせてしまったことを深く反省し、事件に関係する方々を含め、国民におわびする」。正面に並んだ最高裁の幹部は起立し、15秒もの間、深々と頭を下げた。
違和感から確信へ

「憲法の番人」とも称される最高裁は、日本の裁判官を束ねる司法権力の頂点だ。2023年5月25日の記者会見で報道関係者に向き合った彼らもまた、裁判官である。
1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の全記録を神戸家裁が廃棄していたことを報じ、約7か月が過ぎていた。当初「けんもほろろ」だった最高裁は一転し、全国の裁判所に記録廃棄の一時停止を指示。有識者委員会を立ち上げ、全国約100事件について、記録保存・廃棄の経緯を調査した。同日は、その報告書を公表し、「記録は国民の財産」とうたう理念規定の追加や常設の第三者委員会の設置、国立公文書館への移管検討など、数々の再発防止策を打ち出した。隔世の感だった。
記録廃棄の報道後、端緒をよく聞かれた。だが、関係者の情報提供があったわけでも、廃棄を予測したわけでもなかった。細い糸をたどるような連載取材の過程で、「それ」は突然明かされた。
昨年は、連続児童殺傷事件から四半世紀の節目。それに18、19歳を「特定少年」として、成人に準じた扱いをする改正少年法の施行が重なった。約半世紀間不変だった同法は2001年、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」の凶行が契機となって事実上初めて見直され、今回で5度目の改正となった。成人年齢引き下げで「子ども」と「大人」の線引きが揺れる中、少年法を考える長期連載「成人未満」を始めた。
昨年春の第1部(全10回)は、連続児童殺傷事件など三つの重大事件の現場を巡り、丁寧に少年事件を取り巻く諸課題を紹介した。加害少年の更生を重んじるか被害者の処罰感情に寄り添うかによって大きく報じ方が異なる少年事件を、できるだけ双方に公平に書くよう努めた。

続く昨夏の第2部(全12回)では、同事件で神戸地検の主任検事を務めた男性(現在は弁護士)の初インタビューに成功し、証言連載をつづった。当時の少年法では、逮捕時14歳だった「少年A」は起訴できず、通常の取り調べとは全く異なった。更生に主眼を置いた調書を取ったと、元主任検事は振り返った。
その取材後、少年事件記録に関心が向いた。だが、それを自分が見られる可能性はゼロだと思っていた。だから情報公開請求はしなかった。代わりに、市民がこの記録の公開請求をした場合の対応を、神戸家裁に尋ねた。審判を非公開とする少年司法の手続きにおいて、記録を見せないことを裁判所がどのように説明するか知りたかった。質問を投げかけて約2か月後、家裁職員はこう説明した。
「廃棄済みのため、閲覧、謄写はできない」。経緯は不明とのことだった。
事件記録は、少年が26歳になるまで保存した後、原則廃棄すると家裁職員は説明した。職責を果たしたと言わんばかりの淡々とした口ぶり。そこで「そんなものか」と流してしまえば、この事実は再び闇の中に戻っていたはずだ。
私は、漠然とした違和感を抱いた。長期的に保存する仕組みを尋ね、史料的価値が高い記録は「特別保存(永久保存)」にするよう内規が義務づけていると知った。さらに、その運用を定めた最高裁通達は、対象例として「世相を反映した事件」や「全国的に社会の耳目を集めた事件」、「少年非行等に関する調査研究の重要な参考資料になる事件」などを挙げていた。違和感は、確信に変わった。
放った「3本の矢」
最高裁は、廃棄についての見解を示さず、廃棄経緯が不明であることも「問題ない」と一蹴した。当時の職員への調査については「仮に聴取しても、あくまで個人の記憶や見解の範囲にとどまる」と回答し、取り付く島もなかった。
この時点で、方向性は二つあった。
特報性を優先し、現場がある「少年A」の記録だけに絞り、神戸家裁ネタとして報じる方針が一つ。もう一つは、問題の背景を探るため、情報が漏れるリスクを覚悟の上、各家裁に重大少年事件記録の存否を確かめ、全国的な保存制度の課題として最高裁に投げかける方針だ。
相談した永田憲亮デスクは、「考えなければならないのは、この複雑な廃棄問題を、読者にいかに分かりやすく、正確に伝えるかではないか」と指摘した。ずっと二人三脚で連載を作ってきた信頼関係があった。ネタの大きさに浮足立つのではなく、地に足を着けた丁寧な報道を続けよう。方針が改めて確かめられた。
廃棄を知った後、約1か月間取材を重ね、22年10月20日付朝刊で初報を打った。そしてすぐ「二の矢」として、04年に長崎県佐世保市の小学校で小学6年の女児が同級生を殺害した事件や、00年に愛知県豊川市で17歳の少年が夫婦を殺傷した事件の記録も廃棄されていたと続報。一方、17歳の少年が逮捕された「西鉄バスジャック事件」は永久保存されていたと明らかにした。ばらつきがあった。
さらに「三の矢」で、最高裁が全国で永久保存されている少年事件記録を7件しか把握できていなかったことを報じた。後に最高裁は全国に照会をかけ、15件に修正したが、年間1万人以上の少年が保護処分を受ける中、99%以上の少年事件記録は、永久保存に選定されず、捨てられていたことが浮き彫りとなった。
最高裁を動かすため、1面と社会面の両面で初報から3日連続トップを張り、多角的に論点をあぶり出した。報道各社やジャーナリストも動き出し、長崎の男児誘拐殺人事件、奈良の医師宅放火殺人事件、京都の亀岡暴走事故など、日を追うごとに廃棄事案が判明していった。
ついに動いた最高裁
最高裁の当初の素っ気ない対応には、理由があった。19年に重要な民事裁判記録が大量廃棄されていたことが報道で発覚し、永久保存制度の見直しをしたばかりだったからだ。しかしそのとき、少年事件記録にはほとんど誰も目を向けていなかった。今回、民事記録の時と最も大きな差が出たのは、捜査文書の存在だった。少年審判が非公開である上、犯罪事実を記した文書さえ捨てられていたことに、遺族の心情を察する声が広がった。
そして初報から5日後、ついに最高裁は動く。全国の裁判所に対し、少年事件に限らず記録廃棄をストップさせた。有識者委員会を立ち上げ、保存の在り方を検証。全国約100事件について、記録の保存と廃棄の経緯調査も始めた。

小山優編集局長の指示で組織された取材班は、この機を逃すまいと、当事者や有識者らへのインタビューを立て続けに掲載した。「最高裁への提言」と題した連載(全5回)では、具体的な再発防止策をキーマンに尋ね、公文書は「国民共有の知的資源」といった理念をどうすれば体現できるかを示した。
当時の家裁職員にも直当たりした。廃棄責任者だった男性は、連続児童殺傷事件の記録だと認識しつつ決裁の判をついたと明かした。なぜ、踏みとどまれなかったのか。機械的作業の片鱗が見えた。
被害者の声は特に丁寧に報じた。連続児童殺傷事件の遺族土師守さんを中心に、記録保存の意義を語ってもらった。記録は、大切な家族の命がなぜ奪われなければならなかったのかを知る手掛かりであり、「子が生きた証し」でもあった。
最高裁という司法の頂点を相手に、重ねた記事は、100本を優に超した。
国民共有の知的資源

最高裁は調査報告書で、ハードとソフト両面から廃棄要因を分析している。保存場所の不足は深刻で、全国の裁判所が保存する記録の厚みは、1年で約21~25キロメートルにもなるという。裁判所施設で全て保存するのは現実的ではなく、デジタル化も含め、検討の余地がある。
一方、廃棄を「是」とする裁判所内の考え方にも触れている。立ち直りを重視する少年法に鑑み、少年時代の過ちを記した文書は廃棄することで、外形的には「風化」させる仕組みがそこにはあった。加害少年の付添人の立場から最高裁に意見聴取された弁護士も、廃棄を支持する声が多いと明かしていた。
ただ、文書は一度失われると検証できなくなる。その意味で、少年事件記録は、非公開の少年司法手続きの公正さを支える重要な柱と言える。少年事件を抑止し、被害者支援の充実や矯正教育の改善につなげるため、記録は、「現在の国民」だけでなく「未来の国民」の財産でもある。最高裁の見直しでは、国立公文書館で保存する方向性が示された。保存された事件記録を、少年の更生と両立させながら活用するためにはどういった方策が考えられるのか、議論を始める必要がある。
今回の問題では、地方紙が報道をリードし東京の最高裁が動く、という異例の展開をたどった。地方には、全国に通じる課題の「鉱脈」が埋まっていることを象徴的に見せられた。素朴な疑問を大切にし丁寧に掘り進めれば、鉱脈に必ず行き当たる。それは、地元の事件を長期的に継続取材する地方紙の強みと言える。
しかし、当局の発表に頼らない調査報道は、決して容易ではない。
今回、取材班代表として結果的に新聞協会賞をいただいたが、後に判明した連続児童殺傷事件の記録廃棄の日に愕然としたことを覚えている。11年2月28日。その日は、私が司法キャップを退任する最終日だった。当時自分が記録について何らかの取材をしていれば、あるいは残せたかもしれない、そんな思いは今もある。
また、最高裁という権力は、この間の報道だけでは動かなかったのではないかとも感じる。ニュースに接した人々の「あの事件の記録を捨ててしまうなんて」という強い違和感こそが彼らを翻意させた。そこには、事件の起きた四半世紀前から報道してきた社内外の報道人の仕事が、下地として大きく作用したはずだ。
「権力に対する人間の闘いとは忘却に対する記憶の闘いにほかならない」。今年、94歳でこの世を去った作家ミラン・クンデラは著作でこう書いた。
記者は、文字通り「記す者」。日々、記録を作ることで生計を立てている。事件の記録は、社会の「忘れてはならない過去」として、後世に引き継いでいかねばならない。そして、このような公文書廃棄の判断を当局に白紙委任しないよう、今後も「国民共有の知的資源」であると訴え続けていくことが重要だろう。
<筆者プロフィール>

神戸新聞社
「失われた事件記録」取材班
(代表)編集局報道部デスク兼編集委員
霍見真一郎(つるみ・しんいちろう)氏
(2023年10月11日)