取材を振り返る〖寄稿〗

負の連鎖を断ち切るために【寄稿】

「『精神科病院で患者虐待や高い死亡退院率』の一連のスクープと調査報道」受賞報告

NHK・真野修一氏、松井裕子氏

「一刻も早く、この問題を伝えなければならない」――。私たち取材班がその思いを強くしたのは2022年5月に寄せられた、ある男性の訃報でした。男性は入院している東京・八王子市の精神科病院「滝山病院」で〝暴力を受けている〟と助けを求め、弁護士の支援でまもなく退院がかなうという状況でした。その後、取材班が報じることになった「滝山病院」での虐待や違法な身体拘束、そして不適切な医療の疑惑……。そこまでには実に7年の経緯がありました。

7年前に始まった取材

真野氏(NHK提供)

番組取材班が最初に精神医療に取り組み始めたのは、16年。きっかけは、11年の福島第1原子力発電所の事故でした。福島にあった病院の患者たちが避難を余儀なくされたことで、ブラックボックスだった精神科病院の内実をカメラで取材する機会を得ました。それは、一度知ってしまったら、伝えずにはいられない実情でした。
日本は、〝精神科病院大国〟と言われ、経済協力開発機構(OECD)加盟諸国にある精神科病床の実に4割近くが日本にあるとされています。1年以上の長期入院をしている患者はおよそ16万人と言われ、こうした実態は、国連や世界保健機関(WHO)などから何度も「深刻な人権侵害」と勧告を受けてきたものの、あまり改善されてきませんでした。そこで、実際には入院治療の必要がないにもかかわらず長期間の入院を余儀なくされる〝社会的入院〟の問題に焦点を当て、社会から隔絶された精神障害者の置かれている現状を、17年から18年にかけ福祉番組やETV特集で伝えました。

松井氏(NHK提供)

その後、20年には、新型コロナが精神障害のある人たちに及ぼす影響をはじめ、精神科病院でクラスターが次々と発生する中、精神疾患があるがゆえに専門病院への転院を断られるなど、精神障害者がコロナの治療において深刻な医療格差に直面していることを取材。さらに、一部の病院では、大部屋で監禁するといった不適切な隔離施策が取られるなど、深刻な人権侵害が行われていることが分かりました。医療体制がひっ迫する中で〝弱者〟にしわ寄せがいく現実を、21年7月にETV特集で放送しました。

寄せられ始めた内部告発

精神科病院での看護師による暴行事件を特報=2023年2月15日放送「ニュース7」(NHK提供)

すると、その年の秋ごろから取材班のもとに内部告発が寄せられ始めました。今回のETV特集「ルポ 死亡退院~精神医療・闇の実態~」を制作するきっかけとなった、内部告発による膨大な記録は、このコロナ禍での番組取材でつながった方々からもたらされたものです。滝山病院の患者の退院支援にあたり、警察や行政にさまざまな働きかけをしている相原啓介弁護士もその一人でした。最終的に情報提供された病院内の映像や音声の記録は2800時間にも及びました。本来は患者を守り、支える側の看護師らが患者を虐待し、その尊厳を傷つける……。ことばにしがたいほどの内容はここでは割愛しますが、とりわけこの実態を埋もれさせることなく、一刻も早く伝えねばならないと、チーム一同が思いを強くしたのは、冒頭に記した22年5月に相原弁護士から知らされた一つの訃報です。それは、取材をしていたある入院患者の男性が亡くなったというものでした。男性は、看護師に殴られて目の上にあざができたなどの虐待行為を訴えるとともに助けを求めていて、まもなく退院がかなうという状況でした。その男性が亡くなったという連絡は、私たち取材班に大きな衝撃を与えました。
どうすれば精神医療をめぐる状況が実際に改善するよう、行政や国、社会が動くインパクトをもって伝えられるか。今回は過去の番組では届け切れなかった二つのことに注力することにしました。
一つは、暗黙のうちに作られた〝本人以外はみな幸せ〟という構造の問題を、視聴者に「自分事」として捉えてもらえるように伝えることです。家族は負担が重いため自宅では面倒を見たくない、もしくは見られない。病院は入院させていれば儲かる。世間では精神障害者を隣人として受け入れたくないという意識が働く中で、患者本人以外は困らない状況になるため、一見もっともらしく見えるこの構造がもたらす弊害を、どう実感を持って伝えることができるか。それが今回の番組でのチャレンジでもありました。

患者のリストから明らかになった高い「死亡退院率」=2023年2月25日放送ETV特集「ルポ 死亡退院 〜精神医療・闇の実態〜」(NHK提供)

そのために、滝山病院での事件は、あるひどい病院の問題ではなく、この虐待が構造的に起こっていること、そしてそれは社会が生み出したものであることを実感してもらうため、家族やほかの精神科病院、自治体までもが滝山病院を頼っている現実を、入手したおよそ1500人の患者のリストを起点に描き出しました。また、こうした精神科病院は遠い存在ではないことを伝えるため、うつ病で入院した編集者の方や、認知症の発症を機に入院した方など、私たちの身にも起こりえると感じてもらうことを目指しました。
そしてもう一つは、ニュースとの連携です。番組は背景や状況を物語ることで、感情を動かすには一日の長がある一方、特に「ETV特集」のような枠では視聴率が低く、見ている人の層は限られるため、大きな動きを作ることには結び付きにくいのが実情です。そこで、昨年の秋から報道局社会部の警視庁担当や遊軍担当、それに首都圏局の都庁担当の記者たちも加わった新たな取材チームを構築。当局などの関係者取材にも動き出しました。内部告発の情報がNHKにだけもたらされていることを生かし、地道に取材を続けて準備を進める中、今年2月、番組の放送を予定していた10日ほど前のタイミングで警察が捜索に、東京都も立ち入り検査に入るという情報を独自に入手。その瞬間の映像とともに、看護師が患者を暴行した容疑で逮捕という初報を、ニュースで打ち出しました。
患者が暴行される様子を記録した内部映像とともに3日連続で「ニュース7」で報じ、世間の認知度を高め、その後に番組を放送して感情を喚起することを目指しました。一連のニュース、そして他社の報道のうねりが生まれたのに次いで番組を放送できたことは大きく、番組の予告を載せた公式ツイッター(現X)は900万インプレッションを超え、動画が170万回再生されるという、ETV特集としては異例の反応となりました。

〝新たな疑念〟の追及へ

実際、社会の動きとしても初報の2日後、厚生労働大臣が「精神科病院で虐待が疑われる場合には躊躇なく行政指導を行うことを周知する」という考えを示し、厚生労働省が全国の自治体に通知しました。また、日本精神科病院協会が滝山病院に調査に入り、会見を開いて謝罪したほか、会員病院への研修を行うことを明らかにしました。東京精神科病院協会も「虐待防止委員会」の設置を表明。そして4月には、東京都が管理体制に不備があったとして病院に対して改善命令を出すに至りました。さらに5月には、厚生労働省が国民健康保険法に基づき東京都などと異例の指導に入りました。
その後も、虐待をした看護師らの逮捕は続き、今年8月には、番組内で追及していた、本来必要な家族の同意を得ないまま医療保護入院の手続きを行っていた問題で、所沢市の職員らが書類送検されました。こうしたことが本質的にどの程度、全体の改善につながるかは、今後の推移も見ていかなくてはいけませんが、改善に向けて機運を高めるきっかけにはなるのではないかと思っています。

事件が発覚した東京・八王子の「滝山病院」=2023年2月25日放送ETV特集「ルポ 死亡退院 〜精神医療・闇の実態〜」(NHK提供)

その後も、私たちはニュースや特集で報じながら、取材を継続。患者の家族からは「自分の家族も虐待をされていたのではないか」「適切な治療を受けられていなかったのではないか」という声も寄せられるようになりました。そこで、2月の時点では取材が追い付かなかった、不適切な医療行為に関する疑惑についても掘り下げようと、家族の協力を得ながら滝山病院の入院患者のカルテの入手を進め、6月にはクローズアップ現代「精神科病院でなにが 追跡・滝山病院事件」で、続編を放送しました。記者とディレクターが連日関係者らのもとを訪ね歩き、接触を図る中、内部の実態を語れる人物を口説き落とし、インタビューにつなげました。また、膨大なカルテを専門医たちと読み解いた結果、根拠が不明瞭なまま「急性心筋梗塞」と診断された患者が、その診断に基づいて脳出血などの副作用のおそれがある薬を投与されていると、複数の医師が指摘していることを伝えました。その後も国や自治体、捜査当局の動きに加え、退院を希望しても地域で受け入れ先がない現実をニュースや番組で伝えるなど、チームとして取材を継続しています。

届きにくい声が世に響くように

およそ9割が民間病院という精神科病院の中での出来事はブラックボックスになりがちで、中には意思をうまく伝えられない患者も多くいます。今回、そうした声をあげにくい、届かせるのが難しい〝弱い立場にいる人々〟の声を、世の中に響くように伝えることが、やはりメディアの大きな役割であると感じました。
同時に制作の過程、とりわけ調査報道という面においては、やはり現場を担うディレクターや記者の熱意、現場で起きていることを伝えねばならないという使命感と、取材に協力してくれた人たちへの責任をどう果たすかが何よりも大事だと考えています。今回の報道・番組も、その積み重ねの上にあるものだと強く感じています。
そして、大事なこととして、今回私たち取材班は「滝山病院」の内部に一歩も入ることなく、病院内部でどんな問題が起きているのか、一連の報道を行いました。それは、病院内の実態を証言し、また、映像や音声などの記録を提供してくれた告発者の方々の勇気によって成立したものです。ETV特集の〝精神医療取材班〟と報道の記者チームは、その提供された証拠をもとに事実関係の背景や関係者の証言・裏取りを進めて世に出したにすぎません。今回このような評価をいただけたのも、何とか状況を変えたいという方々の強い思いと力があってこそだと思っています。だからこそ、歴史的に繰り返されてきた精神医療をめぐる問題の負の連鎖を断ち切ることにつながる放送を出し続けていくことで、そうした人々の思いに応えていきたいと考えています。

<筆者プロフィール>

NHK
「精神医療問題」取材班
(代表)第1制作センターチーフ・プロデューサー

真野修一(まの・しゅういち)氏

NHK
「精神医療問題」取材班
(代表)報道局社会部ニュースデスク

松井裕子(まつい・ゆうこ)氏

(2023年10月11日)