言論はテロに屈しない――朝日・阪神支局襲撃から20年
小尻知博(こじり・ともひろ)記者=当時29=が殺害されたのをはじめ、記者2人が散弾銃を持った男に殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件から、今年の5月3日で20年となった。阪神支局3階の襲撃事件資料室では、事件発生の午後8時15分、秋山耿太郎(あきやま・こうたろう)代表取締役社長らが黙とうを捧げた。1日付朝刊には「言論はテロに屈しない」と題した社説を掲載し、「われわれは暴力を憎む。暴力によって筆をゆるめることはない」との決意を改めて表明した。4月28日には兵庫県西宮市の市立勤労会館で、言論の自由を考える公開の対談を開催。同日から5月3日まで、阪神支局資料室で「『みる・きく・はなす』はいま」展を開いた。
5月1日付の社説は、言論の自由をうたった戦後においても、言論に対するテロや暴力はなくならなかったと指摘。メディアが暴力に敏感に反応し、政治家や経済人が即座に強い姿勢を示すことの重要性を訴えた。
朝日は3日、襲撃現場となった阪神支局の1階に記帳・拝礼所を設置。市民ら約630人が訪れた。事件発生時刻には秋山社長ら約80人が1分間の黙とうを捧げた。
阪神支局の資料室で行われた展示では、1990年の本島等(もとじま・ひとし)元長崎市長銃撃事件など、言論の自由と暴力が問われた20年間の事件に関する記事、写真パネル約80点が飾られた。襲撃事件のときに小尻記者が着ていた愛用のブルゾンも初めて公開された。訪れた市民らは6日間で1000人を超す。松浦和夫(まつうら・かずお)支局長は「関心の高さを感じた」と話した。
記者対談「攻撃に強く声上げて」
4月28日の対談のタイトルは「『みる・きく・はなす』はいま」。言論の自由をめぐる問題を取り上げる連載シリーズの名称で、1987年の新聞週間に合わせ始まった。
当日はフリージャーナリストの江川紹子(えがわ・しょうこ)氏と、朝日東京の臼井敏男(うすい・としお)論説副主幹が登壇。会場には約300人の市民らが集まった。江川氏は、新聞社や市民に言論への攻撃に対し、声を強くあげるよう訴えた。
臼井氏は、取材にかかわった事件当時を「犯人を割り出せば撃たれるかもしれないという恐怖はあった。それでも犯人をつかまえたいとの思いは、取材記者全員に共通していた」と振り返った。その上で「重要なのは変わらないことだと考えた。事件前と同じように取材し、書くことが、テロに対する闘い方だ」と強調した。
この20年の言論状況について、江川氏は「物を言う人たち全体が少しずつ変わった」との認識を示した。「従軍慰安婦問題をめぐり、日本に批判的な発言をすると『媚中派(びちゅうは)』とレッテルを張られる」などの例を挙げ「今の社会の『空気』に恐さを感じる」と述べた。
江川氏は「フリーの記者など個人が狙われたとき、新聞社などは『言論に対する攻撃』ととらえて、強く声を上げてほしい」と話した。会場にも、言論に対するテロや暴力が起きたとき「『頑張れ、助けてやるぞ』と言ってくれることが、支えになる」と訴えた。