最優秀賞
あの日の青年
『前良し、後良し、今日も視界良好』
(産経新聞社提供)
私が交番勤務の巡査時代。その青年は必ず朝刊を深夜2時頃に配達してくれた。この街ではなぜそんなに早く配達してくれるの?といつも疑問に思っていたことを尋ねた。
「警察署と交番にはいつも一番に配達します」と返してくれた青年に、へぇ?そうなの、と驚く私に、僕も先輩たちから聞いたんですがと前置きして、青年はほほ笑みながら続けた。
「お巡りさんは事件を扱う仕事だから、真っ先に読んでもらわないといけないからって。それに明け方までずっと頑張ってるでしょう。僕らと同じ仲間ですよね。お疲れさまです」
軽く頭を下げてバイクの音を響かせながら青年は次の配達に向かった。同じ仲間。確かに私たちと彼らは社会をつないでいる。新聞の社会面に載る出来事の守り手と、街の人々にその出来事を知らせる重要な役目。
あの日は木枯らし吹く寒い夜だった。青年の姿と大学生時代に新聞配達をしていた私の姿と重なった。
『前良し、後良し、今日も視界良好』
(産経新聞社提供)
審査員特別賞
感謝~時代と共に~
『離島での新聞集金風景』
(長崎新聞社提供)
心に残る原風景に、毎朝新聞を広げて隅々まで読んでいる祖父、そしてその上に乗っている猫がいる。その日課は父にも引き継がれ、子どもの私が横からのぞき見をする。小さい頃は専ら4コマ漫画を食い入るように見ていて、それが家族のコミュニケーションの一つになっていた。
やがて私も家庭を持ち、実家と同じ新聞を読むようになった。そんな新婚時代に起きた東日本大震災。家具が倒れ、ライフラインが使えず不安な日々に届いた新聞。情報があることがとてもありがたく、新聞屋さんの努力と苦労を思うと頭が下がる思いだった。この新聞は捨てられない。夫婦で意見が一致し、ラップで大事にまいて今でも大切に取ってある。
月日がたっても、変わらないものがある。新聞によってつながれる家族の絆は、今もなお引き継がれている。
「ママ、新聞見せてー」
これからもずっと……。よろしくお願いします。
『離島での新聞集金風景』
(長崎新聞社提供)
優秀賞
人生の宝物
『雨だからラッピングして出かけよう』
(福島民友新聞社提供)
「お母さん、ごめん。もう無理」
そう言って、次女は高校を途中退学した。翌春に編入試験を受けるというが、合格は厳しい。だがどんな説得も、もはや次女の心には届かなかった。
所属先を失った身を一番不安に感じていたのは、次女自身だったろう。あえて自動車学校に入校し、苦労の末、中型バイクの免許を取ると、新聞配達のアルバイトを決めてきた。そうして、彼女の早朝3時起き生活が始まった。
雨の日も雪の日も休みはない。慣れないバイクで転倒もした。だが、自分で決めた茨の道を、諦めることはなかった。かじかむ手を擦り合わせていたら、見知らぬ人が温かい缶コーヒーをくれた話。庭先でほえていた犬が、娘の配達を待つようになった話。そして、冬の夜空は美しくて、満天の星を独り占めした気分になれる話。次女は徐々に笑顔を取り戻し、半年後、念願の高校に入学した。
その後、専門学校を経て介護福祉士となった今でも、「あの半年間は人生の宝物」と、折に触れ振り返っている。
『雨だからラッピングして出かけよう』
(福島民友新聞社提供)
入選(7編)
「日常」を届ける配達員さん
実家の前を流れる川が豪雨で氾(はん)濫(らん)した。山からの土砂は道路をふさぎ、集落は孤立した。要介護3の母を見ながら夜を過ごした。朝が来ても、昼が来ても新聞受けは空のままだった。そのことがなぜか心細かった。
その朝、約50キロ離れた自宅が床上浸水したことを知った。行くに行けない焦り、母を一人にできない事情、周辺の事態が分からない不安などで、ぼうぜんと玄関先に突っ立っていた。
夕方、「遅くなりました」という声と、両手で新聞を手渡す配達員さんの姿で我に返った。土砂が残る山の道を迂(う)回(かい)してきたという。新聞には実家近辺の状況が載っていた。その記事は孤立する私たちをみてくれている人が居て、寄り添ってもらっているような安心感をもたらした。
新聞のスタートが取材なら、どんな地域にも届けてゴールとなる。そのアンカーが配達員さんだ。毎朝決まった時間に新聞があるという「日常」を届けているのだと思った。必ず自宅の「日常」も取り戻そうと決意した。
4時50分のバイクの音
『配達完了、そして日の出』
(新潟日報社提供)
私の父は学生時代からずっと新聞配達をしています。父にとって生活の一部なのだと母は言っていました。
小学生の時、大みそかに父と一緒に新聞を配っていました。新聞配達に出て行く父に、ついて行くと言ったのがきっかけでした。配達をする家の前に着くと、新聞を1部とり、ポストに入れやすい大きさに折り曲げて父に渡して、父が家のポストに入れて戻ってくる。とても楽しい時間でした。
結婚して家を出て、私たち家族がすんでいる家に新聞を届けてくれるのは父です。子どもが産まれ、夜中になかなか寝てくれず、いっぱいいっぱいの私を助けてくれたのは、4時50分にくる父のバイクの音でした。このまま泣き続けるのではないか、朝は来るのかと涙が止まらない時、父のバイクの音が聞こえると、不思議と気持ちが落ち着きました。2人の娘にデレデレの父。あと何年新聞配達を続けるかわからないけど、4時50分のバイクの音を私は聞き続けたいと思います。お父さんいつもありがとう。
『配達完了、そして日の出』
(新潟日報社提供)
新聞だけはアナログで……
『こんにちは、おまたせしました』
(読売新聞社提供)
ある日、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、なじみの新聞配達のおじちゃんがずぶぬれで立っていた。
「どうも、夕刊です」
こんなに雨が降っていたのかと、その時に気が付いた。それにしても普段は、雨の日でもポストに入れていくだけなのに、今日はどうしたのだろうと思っていたら、「お兄ちゃん、これもぬれちゃうよ」と言って、小包を手渡してくれた。それは置き配指定にしていた通販の荷物だった。僕はこの日ずっと家にいて、荷物のことを完全に忘れていた。もしもこのおじちゃんが教えてくれなかったら、雨に打たれて使い物にならなかったかもしれない。
ふと、ここ数年で生活様式が大きく変化したことが思い出された。「非接触、デジタル」という言葉がキーワードの時代になり、便利な世の中になったとメディアはそれを盛大にあおる。そんな現代の暮らしの中で、アナログもまだまだ捨てたもんじゃないなと感じた、とある夕立ちの日の出来事であった。
『こんにちは、おまたせしました』
(読売新聞社提供)
配達員さん、ありがとうございます
「新聞、ちゃんと来てるぞ」と、夫の驚いた声。私が新聞を受け取ってから玄関をあけると、そこは一面の雪景色、いえ、大雪でした。配達員さんのバイクのわだちだけが延びています。そして、玄関までの何歩かの力強い足跡に、配達員さんの使命感のようなものを感じました。
そんな私が新聞の到着を諦めた日があります。それは、12年前の東日本大震災の時です。ライフラインがすべてだめになった我が家では、夜に親戚宅に避難しました。翌日の昼間、自宅に戻る途中、市内は変わり果てていました。
ぼうぜんと帰宅すると、新聞が目に入りました。ちゃんと届いていたのです。未曾有の災害のため非日常と化した世の中にあって、日常が感じられることの安心感はこんなにもあるんだと感動した記憶があります。
翌日以降も新聞は届きました。建物も道路もあちこち壊れて危険な中、ちゃんと届けてくださる配達員さんに感謝の日々でした。
輝いていた日
『出発前に新聞をバイクにセットする様子』
(朝日新聞社提供)
今朝も3時半を過ぎた頃、バイクの音がしてカタッと郵便受けの開く音がする。
80歳の夫はすでに目覚めており、新聞(朝刊)が来るのを待っている。配達の人は、若い人なのか、中年かあるいは老齢の人か、姿を見たことがない。以前は月1回集金の人と話を交わす機会もあったのだが、銀行引き落としにしてから便利になった分、それもなくなり、寂しく思うが、老人の感傷に過ぎないのかもしれない。
雨の日は、丁寧にビニール袋に納められて滴に濡れることもなく読める。
しかし何よりの善いことは、災害時のお願いとして最近数回、配達中止・遅延があることに理解を求めるチラシが入ったことである。いろんな人の手を経て、我が家に届く大切な新聞の最終ランナー、新聞配達の人の命、安全は守られなければならない。
中学時代不登校であったが、奮起して2年ばかり新聞配達をした息子の冬は、2枚の手袋をしても真っ赤に凍え、雪に埋もれた田舎道はバイクが進まず歩いて配り、時間がかかったこともある。
今も残っている20数年前の古い目覚まし時計やマフラーは、人並みに今も進まない彼の人生において、一番輝いていた記念の品なのだろう。
『出発前に新聞をバイクにセットする様子』
(朝日新聞社提供)
真夜中の応援団
『朝まづめの部数確認』
(デーリー東北新聞社提供)
コロナ禍での3年間。誰もがマスクを着け、人との関わりが極端に減った。もともと人付き合いが苦手で面倒な私には、誰もが寝静まる丑(うし)三つ時の新聞配達が性に合う。
あの晩、いつものポストに朝刊を差し込んだ瞬間、背後に何かの気配を感じた。驚いて振り返ると、目の前には高齢の紳士が立っていた。
「母がベッドから落ちてしまいました。助けて下さい」
寝室へ案内されると、床に横たわる母親の「どちらさま」との問いかけに、男性は「我が家の応援団ですよ」と優しく語りかけた。帰り際、「なぜ、私のことが分かったのですか」と尋ねると、男性は「毎日2時半にはバイクの音がしますから」とほほ笑んだ。
老老介護の現場では、いくら近所付き合いが良好であっても、深夜に助けは頼めない。煩わしい社会とのつながりを嫌い、独りで仕事をしているつもりであったが、暗闇の中、バイクの排気音によって社会とつながっていたのだ。
これからも定時配達を心がけよう。
『朝まづめの部数確認』
(デーリー東北新聞社提供)
あったかい父の布団
私の父は、副業で朝刊配りをしていた。凍えるような吹雪の日も毎日配っていた。配り終わり、仮眠をとるとまた仕事に行く。
私は子供ながらに、そんな父の姿を見て、大変そうだなといつも感じていた。ただ、朝は眠いし、秋田の冬は寒い。手伝いたい気持ちと面倒な気持ちが常に隣り合わせだった。
冬休みに数回は、配達を手伝った。少しでも父の負担を減らしたかったのだ。眠気に負けて手伝いができなかった日は、父の布団をあたためた。私なりにおわびの気持ちもあったのだろう。私は父の布団で寝ているだけだが、父が配達を終えて帰ってくる頃には、あったかい布団になっている。あったかい布団で父に仮眠をとってほしかったのだ。
「お父さん、配達お疲れさま。いつもありがとう。ゆっくり休んでね」
そう思いながら布団をあたためた。
父が亡くなって 20年。今でも我が家に届く新聞を見ると、あの頃を思い出す。
最優秀賞
感謝と尊敬の気持ち
『奥の一軒家へ!もう少しだ!』
(信濃毎日新聞社提供)
台風一過のある日、母の勤務する病院に、足を骨折した男性が救急搬送されてきました。その人は、バイクで新聞配達をしている時、風倒木にぶつかって大けがをしたのです。
それなのに、自分の痛みはそっちのけで、配達員仲間に電話して、配達できていない家を一軒ずつ教えて、全ての家へ配達をしてもらったそうです。入院も必要なけがを負いながら、自分のことは後回しにして、仕事を優先したと母に聞いて、私はとても感動しました。
私の通っている中学校では、朝自習の時間に新聞コラムを読み解いたり、気になる記事をスクラップして感想を書いたりしています。それも毎日、新聞を配達してくれる方々のおかげでできることと思ってはいましたが、あの骨折しても役目を果たした男性のことを聞いて以来、感謝と尊敬の気持ちが、より大きくなりました。進路を意識する時期に入った私は、あの配達員さんのように、仕事に誇りを持ち、行動する人になりたいと思います。
『奥の一軒家へ!もう少しだ!』
(信濃毎日新聞社提供)
審査員特別賞
新聞の個性を生かした配置
『黙々と作業』
(東京新聞提供)
私はコンビニエンスストアの店員で、夕刊が届く時間が大好きだ。
アルバイトとして働き始めて5か月。私は新しい仕事を覚えた。新聞の入荷とラックに置く作業を習った。これが、私の人生をより豊かにする第一歩となった。
新聞を数えると、指の先が真っ黒になり、その指を見る度に新聞は生き物だなと感じる。そして、一紙でも多く売れるように丁寧に配置する。新聞ひとつひとつの個性を見つけると、その作業はより楽しくなった。
夕刊はいつも16時頃に届く。するとすぐさま常連のお客さまたちが来て、今日の一面を見ながら購入なさる。その時に「君の新聞の配置、新聞の良さが生かされててすごく良いよ」と褒められて、会話が増えるきっかけになった。
今日も届く新聞たちの顔ぶれを見て、配置を決める。あのお客さまとはこの記事について話そうかな。そう考えるのが日々の楽しみであり、これからも続けたいと強く思う。
『黙々と作業』
(東京新聞提供)
優秀賞
温かい雨の朝
『心を込めて』
(日本経済新聞社提供)
小学生だったある日、妹の寝息も聞こえなくなるほど降りしきる大粒の雨の音で目覚めた朝。眠たいながらも少し張った母の声が聞こえた。
「うわ、美桜、警報でとるで」
「平日だったら休みじゃったな」
少し残念さもまじる感情で毛布にくるまったまま会話を交わす。
その時、ゴトッ。音が聞こえた。毎朝届く新聞だった。普段早く起きない私は、こんな朝早くに届くということ、豪雨の中で届いたということの二重の驚きがあった。
タッタッタと軽快な足取りでアパートの階段を駆け下りていく配達員さんに、感謝の気持ちが湧いた。
起き上がって新聞を見に行くと、また一つ、驚くことがあった。濡れていない、乾いた状態なのだ。新聞配達所からアパートの2階の我が家まで、一瞬たりとも気を抜かず届けてくださったという事実に胸がジーンとした。一歩も外にでたくないような雨の中。眠っているかもしれない私たちを気遣い、そっと届けてくださった冷えた新聞は、いつもの何倍もの温かさを感じられた。
『心を込めて』
(日本経済新聞社提供)
入選(7編)
早起きは三文の徳
『竹林を颯爽(さっそう)と』
(京都新聞社提供)
「キキー‼」
早朝、私がテスト勉強をしていると、自転車のブレーキ音が聞こえてくる。私の家に新聞を届けに来てくれる配達員は、私が幼い頃から同じ女性だ。今でも白髪を後ろで一つ結びにして、さっそうと自転車をこいでいる。
配達員が、雨の日も真夏の暑い日も毎日同じルートで新聞配達しているのを見かけると、使命感すら感じる。
私は、配達員を通じて、私も一つの事に打ち込んで頑張ろうという気持ちにさせられるのだ。やはり、早起きは三文の徳なのである。
現在、ペーパーレス化でネットニュースを見る人が多い。しかし、私のように新聞配達員を見て励まされている人たちも多いであろう。新聞配達という職業を未来の人たちにも受け継いで、早朝からの気持ちの良い一日の始まりを感じて欲しいのである。
『竹林を颯爽(さっそう)と』
(京都新聞社提供)
祖父の力になりたい
『まごころを込めてお届けします』
(北國新聞社提供)
小さな町の新聞店、私の祖父がこの店の経営を始めて20年。今年で72才になる祖父は今日も朝早く起きて自ら配達をしている。母に聞いた話だが、母がまだ中学生の頃、祖父は大病を患い、祖母や子供たちと離れ、叔父叔母の住む栃木県の病院に入院し、治療をしたそうだ。
手術を終え帰ってきた祖父は、体重が10㎏も減り、変わりはてた姿だったという。家族みんな祖父の帰りがうれしくて喜んだ記憶があると母は言う。それから療養しながら、仕事を続けて今日まで元気に過ごしている。
私は今年の春、中学へ入学した。祖父の姿を見て決めた事がある。私も新聞配達をしよう。毎朝頑張る祖父を、私も応援しているし、私も力になりたいと思った。
配達を始めてまだ1か月、早起きは大変だけれど、私の配る新聞を待ってくれている人がいると思うと、少しでも早く読んでもらいたいと頑張れる。
これからも祖父の力になっていきたいと思っています。
『まごころを込めてお届けします』
(北國新聞社提供)
12年前の出来事
令和5年3月11日、いつものように新聞に目を通すと、「東日本大震災から12年」の文字が目に入った。当時4歳だった私は、その日、真っ暗な部屋でろうそくの明かりを囲み、家族で食事をしたかすかな記憶がある。
そういえばと、母が書斎から昔の新聞を持って来た。その見出しは、「東北・関東で大地震M8・8」の文字と写真が掲載され、今まで見たことのない大きさで、ひと目見て驚愕(がく)した。地震が発生してから短時間でライフラインが途絶え、ほぼ情報がないまま一夜を過ごしたそうだ。新聞も無理だろうと思っていた矢先、ポストに新聞が入ってあり、とてもありがたかったと母は言っていた。
余震がまだ続いていて、自分の身に危険が迫るかもしれない中で、新聞を届けてくださった配達員さんの責任感とその姿勢に私は感銘を受けた。
我が家では、情報を知るために新聞は欠かせないものとなっている。今日も、これからも。
「届ける」という使命
『さあ、スタートだ』
(河北新報社提供)
僕の住む街は日本屈指の豪雪地帯だ。
悲しい事に、隣の街で配達員さんが除雪車と接触するという事故があった。
いつも配達員さんの頑張りに感謝している僕は、心が痛くてとてもショックを受けた。
冬期の配達時間はまだ暗く、雪で足元も悪い。除雪作業の時間と重なることで、危険が潜んでいる。そんな当たり前のことを僕は初めて知った。改めて感謝の念が大きくなった。
「配達員の皆さん、どうか安全に気を付けて届けて下さい」
心から強くそう思う。
新聞は僕の知識を広げ、学習の手助けもしてくれる。明るいニュースは心が晴れる、初めて知るニュースは心が弾む、悲しいニュースは心が痛くなる。今回の事故のニュースは、本当に心が深く沈んだ出来事だった。
「届ける事で大切な経験が身に付くよ」と言う父は、高校時代に新聞配達をしていた。
「僕も新聞配達をしてみたい。待っている誰かのために届けてみたい」
強くそう思った。
『さあ、スタートだ』
(河北新報社提供)
感謝
僕は小学校に通うために毎朝6時過ぎに家を出ていた。小学校には満員の電車を乗り継いでいかなければならなかった。冬の間はまだお月さまがくっきりと天空にあった。
僕の朝の楽しみは「小学生新聞」を読むことだった。5年生になってから親に頼んでとるようになったのだ。我が家ではこれまで新聞をとっていなかった。親でさえ読んでいないのになんで子供が新聞を読むのかと言われそうだけれど、新聞の記事や連載漫画がとても楽しみだった。全国の小学生が同じ時間に楽しみに読んでいるだろうと思うとうれしかった。
朝5時ちょうど、キキ、家の外でバイクの止まる音がする。ストンと郵便受けの中に新聞が入る。キキ、ブルブル、ブブーン。バイクが向きを変えて出発する。雨の日も台風の日も、新聞はきちんとビニールにくるまれて僕の家にやってきた。そして僕の一日が正確にその時刻からスタートした。毎日時間に正確な配達員の方に感謝でいっぱいだ。
どうぞ安全運転で。そして明日もよろしくお願いします。
新聞のありがたさ
私のおばあちゃんは新聞配達をしている。遠くに住んでいるのでたまにしか会えないが、仕事をがんばっていることを知っている。
以前おばあちゃんから仕事について聞いたことがある。毎朝2時に起きて、新聞が保管されている場所まで行き、広い範囲の地域に新聞を届ける。
暑い日だと、倒れそうになったり、強風の日は立っているのも苦しくなったりする。どんな日もおばあちゃんは新聞配達をする。
昨年夏、県全域が大雨になり、おばあちゃんの住んでいる地域では川の氾濫(はんらん)や浸水が起こり、町全体がパニックになっていた。それでも、町の人々に正確な情報を届けるために、おばあちゃんは新聞配達をした。多くの不安を抱えた中での新聞の存在は、町の人々にとって、とても大きかっただろう。
この事を知り、私は新聞の大切さを実感した。これからは積極的に新聞を読もうと思う。
音の正体
「ゴトン」
小学校6年生のある日、この音で目が覚めた。1か月それが続いた時、音の正体を知りたくなった私は、朝早くから音がするのを待っていた。その音の正体は、新聞がポストに配達される音だった。頭の中で誰かが新聞を配達してくれていることは理解していたつもりだったが、実際にその光景を目にしたのは初めてだった。その瞬間、感謝の気持ちでいっぱいになった。雨の日も風の日も、雪の日にさえ、新聞は必ず配達された。読む人のことを考えた思いやりと一緒に。
それ以来、配達された新聞を、感謝の気持ちを持って読んでいる。目の前にあるのはただの新聞ではない。届ける人の思いが、いっぱい詰まった新聞だ。私があたり前だと思っていたことも、誰かによって支えられているのだと、よく分かるようになった。
次、新聞を配達してくださる場面にあったら、「ありがとうございます」と心から伝えたいと思う。
最優秀賞
明け方のサンタさん
『バランス取ってタケノコ積み』
(四国新聞社提供)
いつものように新聞をとりに行く。朝のひんやりした、すんだ空気にふれて目が覚める。季節をはだで感じながら、きれいに折りたたまれた新聞を開くと私の一日が始まる。今日はどんな記事があるだろう。
師走。早朝の寒さにおどろいた。周りはまだ真っ暗。冷えきっている新聞を手に考える。配達員さんはもっと早い時間から届けてくれているんだな。今よりもっと寒いんだろうな。
そこで、日ごろの感謝の気持ちをこめて、おこづかいでカイロを贈ることにした。配達のじゃまにならないよう、手首にまくタイプ。メッセージもそえて新聞受けにかけておく。プレゼントに気がついてくれるかな。
いつも新聞を届けてくれてありがとう。毎朝わくわくを届けてくれるサンタさんのような配達員さんへ。届けてくれるその手が、少しでも温まりますように。今日だけは私もサンタさん。
明日はこの冬初めての雪がふるらしい。
メリークリスマス。
『バランス取ってタケノコ積み』
(四国新聞社提供)
審査員特別賞
雪の日のヒーロー
『配達員への配慮、ご自宅はまだ奥に』
(北海道新聞社提供)
「うわ。すごい雪。ドアが開かない」その日は、十年に一度と言われるくらいすごくたくさんの雪が降った。うちには玄関フードがないので、玄関のドアが埋まってしまったらしい。姉と玄関から長靴を持ってきて茶の間の窓から脱出成功。玄関前の雪をよけて何とかドアが開くようになった。どこもかしこも雪だらけで、列車は止まり何も動いていなかった。
「こんな日は新聞も届くわけないよね」姉とそう言いながらポストを開けると、何と、いつものように新聞が入っていたのだ。いつもと同じ新聞だけど、何となく貴重な新聞のように思えて、いつもよりじっくりと読んだ。
学校の帰り、雪に埋まって動けなくなっている車を見た。何人かの大人で車を押していた。その中のひとりを見て驚いた。新聞屋さんだ!この雪の中、配達するだけでも大変なのに他の人まで助けていた。「今日は配達が昼過ぎまでかかっちゃったんだけど、困った時はお互いさまですよ」汗をふきながらそう笑うお兄さんは格好良かった。
『配達員への配慮、ご自宅はまだ奥に』
(北海道新聞社提供)
優秀賞
まるで家庭教師
『今日も新しい一日が始まる』
(西日本新聞社提供)
「カタンッ」
まだ暗い朝4時前、玄関で新聞が届くのを待ち構えていた。兄のコンクール入賞の記事を早く読みたくて早起きした。降り積もった雪の上に、少しだけ、がにまたのおじさんの足跡。雪深い道を遠ざかっていく車が見えた。
「毎日ご苦労さまです」
つぶやく息も真っ白。家の中へかけこんだ。
兄の記事で心がほっこりした、届きたての新聞も、いつもよりほっこり暖かく感じられた。「しっかり届ける」という、おじさんの思いがつまっているからかもしれない。
兄は「中学自習室」という記事をスクラップして勉強している。私はプラスチックごみの記事で心が痛くなり、廃材の再利用の記事でとても驚き、知って感心する。
「驚き」や「知る」を教えてくれる新聞はまるで家庭教師。「驚き」や「知る」を届けてくれるおじさんも家庭教師の一員だ。
新聞と私をつなげてくれて、ありがとう。
『今日も新しい一日が始まる』
(西日本新聞社提供)
入選(7編)
大切な新聞、ありがとうございます。
私はまだ新聞配達員さんに会ったことがありません。なぜかというと、私がまだぐっすりねている時間に、新聞を配達してくれるからです。
私はさい近、少しずつ新聞を読み始めました。
どんな人が配達してくれるのか気になり、母に聞いてみると、母も会ったことがないそうです。でも、とても気のきく人だそうです。どういうことかというと、私の家には祖父の手作りのふたのない新聞受けがあります。早朝でまだ暗い中、新聞を入れやすいように、祖父はふたをつけませんでした。いつもはそこに新聞が入っているのですが、台風や大雨、大雪の日には、新聞がぬれたり、いたまないように、ふたのあるゆう便受けに入っているそうです。
大切に配達してくれる新聞を私も大切に読みたいです。いつか早起きしてお礼も言いたいです。
どんな時も「いつもありがとう」と伝えたい
『待ってる人がいる』(毎日新聞社提供)
私は朝の3時ごろ雨の音でふと目が覚めた。周りを見わたすと辺りはまっくら。耳をすませるとバイクの音が近づいてきた。そして私の家の前で止まり、ポストが開いて閉まった音が聞こえた。
私は新聞かな?と思った。なぜそう思ったかと言うと、手紙などは朝の3時ごろには来ないからだ。朝6時ごろ私はポストに行き、ポストを開けると新聞がビニール袋にきれいに入っていた。
私は感動した。なぜなら朝、新聞配達員さんは誰よりも早く起きて、雨の日は一つ一つ丁ねいにビニールに入れてくれている。
今は新聞配達はしていないけれど、私の祖父も少し前までは新聞配達をしていた。その時「新聞配達の日は天候も考えて早く起きているんだよ」と言ったことを思い出した。
今はデジタルで新聞を見れる時代になった。しかしそれでも朝誰よりも早く起きて、雨の日は新聞をビニールに入れて配達してくれることが私の心に余計感動を引きよせた。心から「ありがとう」。そう思った。
『待ってる人がいる』(毎日新聞社提供)
配達員の方の気配り
『雨の日はぬれないように』
(山梨日日新聞社提供)
「ストン」
私が起きる時間に新聞がとどき、朝ご飯を食べる時、お父さんがいつも新聞を読んでくれます。お父さんも少し前まで配達をしていたので、配達員の方がどんなことに気をつけているのかを聞きました。
そしたら、毎日休まず働けるように体調管理をすることや、新聞をとってくれている方の家に無事にとどけることができるように、事故に気をつけること。どんな天気の時でも、必ず配達をしなければいけないので、雨の時はもちろん、雨予報の時も、新聞がぬれないように一軒一軒ていねいにビニールぶくろに入れて配達していることなど、さまざまなことを教えてくれました。
その話を聞いて、新聞をとっている方に、気持ち良く読んでもらえるようにする気配りが大切だと思いました。そして、新聞を手に取るたびに「いろいろな苦労があるんだな」と実感します。
新聞配達員の皆さんに、「ありがとう」の気持ちを伝えたいです。
『雨の日はぬれないように』
(山梨日日新聞社提供)
配達員さん、ありがとう
「あれ?今日は雨がふっていないのに」
ある朝、ビニール袋に入った新聞を手に母がふしぎそうな顔で言った。よく朝も続いた。3日目の朝、なぞがとけた。「あっ。外へき工事!」母と二人で同時にハモった答えだ。
去年の秋、わが家は屋根・かべの工事をし、家の一部がビニールでおおわれた。窓、げん関ドア、ゆう便受け。その様子を見た新聞の配達員さんが、と料で新聞がよごれてはこまるだろうと、ビニール袋に入れて配達してくれたのだ。その心づかいに親子で感げきした。
私にとって新聞は宝の山。なぜって、「調べ学習」の資料として使うから。私が住む秋田の小中学校では家庭学習という習かんがある。私は、気になることを調べる「調べ学習」が大好き。新聞にのっている地いきの話題をかん単にまとめ、写真や表を切り取ってノートにはる。レイアウトを考えるのも楽しい。生物や地理など理科・社会の知しきもふえる。小さな記事から大きな世界へとつながる。学校の勉強は苦手だけれど、調べ学習は別。
「さあ、どんな記事がのっているのかな?」
今日も私は新聞のページをめくる。配達員さんに感しゃしながら。
新聞のバトン
『安全対策は万全に!ヘルメット着用して夕刊配達へ』
(中日新聞社提供)
わたしのひいばあちゃんは、わたしが生まれるずっと前新聞の販売店をしていたそうです。雨の日も風の日も、寒い日も暑い日も、どんな時も新聞の配達をしていました。毎日、たくさんの人に、新聞を届けていてすごいなと思います。
ひいばあちゃんがなくなった後は、知り合いの人が引きついでくれました。その方も、毎日、新聞をたくさんのお家に届けてくれています。まるで、ひいばあちゃんから新聞のバトンがつながっているようです。
わたしは、4年生になって、学校で新聞を読む機会が増えました。いろんな人の人生や社会の様子などがわかって、楽しい気持ちになります。
新聞を読んだ後は、記事の内容について友達と話をします。考えがにていてうれしいこともあれば、全然ちがう考えでびっくりすることもあります。新聞記事から思いのバトンをもらっているようです。
これからも、新聞を通して、いろんなバトンを受け取り、わたしていきたいです。
『安全対策は万全に!ヘルメット着用して夕刊配達へ』
(中日新聞社提供)
おばあちゃんのなぞなぞ
『港町での配達』
(福井新聞社提供)
「新聞配達のバイトをするバッタ、なーんだ」
夏休みになると、私はおばあちゃんの家にお泊まりをする。毎朝出題された「おばあちゃんのなぞなぞ」は、当時の私には難しすぎた。
「答えは、クバッター(配った)だよ」
そう言って、子供みたいに笑うおばあちゃん。
玄関先で物音がして目覚める。辺りはまだ暗い。外に出ると、新聞配達のお兄さんと目が合った。おはよう。お兄さんが笑顔で問う。
「新聞の中に住んでいる鳥、なーんだ」
「え?え?何?どういうこと?」
どうやら私のおばあちゃんは、新聞配達のお兄さんに「なぞなぞ」も配達してもらっていたみたい。答え合わせは、次の日の朝だ。
95歳になったおばあちゃんは、とうとう施設へ入所した。おばあちゃんへの新聞配達となぞなぞ配達は、今は私が受け継いでいる。
「答えは、記事(キジ)だよ」
ハッとした後、おばあちゃんが笑顔になった。
「その答え。私、知っていた気がするわ」
『港町での配達』
(福井新聞社提供)
美幸ちゃんのおしごと
美幸ちゃんは、わたしの大すきなおばさんです。美幸ちゃんのおしごとは、新聞配たつです。だけど、同じ家にいても美幸ちゃんが、しごとに行くよう子を見たことがないから、ふ思ぎです。新聞配たつの人は、どんな事をして、どんな事を思って、配たつしているか、知りたくなったので、美幸ちゃんに、新聞配たつについて、話を聞いてみました。
美幸ちゃんは、毎日午前3時から午後5時半まで配たつをしているそうです。とくに、強い雨や風の日が大へんだと知って、配たつしている人はすごいなと思いました。それから、美幸ちゃんは、読む人が困らないように、きれいに届けたいと思っている事を知りました。だから、わたしも、物を大切にしようと思いました。そして、かん字をいっぱいおぼえてじっくり新聞を読もうと思いました。
美幸ちゃんが、配たつでうれしいと思う時は、新聞をまっている人に、お礼を言ってもらえた時だそうです。わたしも、美幸ちゃんのように、友達や家族が、うれしいと思う事をしたいと思いました。
(敬称略)