最優秀賞
私を励ましてくれた贈り物
『いつもの事でも丁寧に、ポスト
(新潟日報社提供)
高校生の時、関東地方で新聞配達をしていました。集金業務もありました。あるお宅で「新聞代をお願いします」と言うと、ご主人が「ちょっと待ってね。メガネをかけないと」「あれ⁉どこへやったかな?確かここに置いたはずだけど・・・」「メガネを探すメガネを作らないといけないなァ」と言って笑ったので、私もつられて大笑いしました。
数日後、その方から新聞店の店主宛てに小包が送られてきて、「同封の目覚まし時計とお金を、高校を卒業するまで新聞配達を頑張ると話していた配達の女子高生に渡してほしい」等、励ましの言葉がつづられた手紙がありました。配達や学校に遅れないようにとの思いやりと真心のこもった贈り物はとてもうれしくて、すぐにお礼の手紙を出しました。
社会に出てつらいことがあるたびに、あの手紙とその時の思い出は私を励ましてくれて、力づけてくれて、時には生きる勇気をも与えてくれました。とても大切な人生の宝物となっています。50年たった今もとても感謝しています。
『いつもの事でも丁寧に、ポスト投函』
(新潟日報社提供)
審査員特別賞
天職を見つけた夫
『旧宿場街道の朝』
(信濃毎日新聞社提供)
毎日午前2時を過ぎると、夫は一人静かに身支度をして家を出て行く。
そう、私の夫は新聞配達員である。昔から仕事を転々としてなかなか定職につけず、無理に頼みこんでなんとか働かせていただけることになって約20年が経つ。こんな夫だからどんなに周りに迷惑をかけたのだろうかと思うと、本当に手を合わせずにはいられない。日中、犬の散歩で時々販売所に顔を出すと、みんな笑顔で迎えてくれ、優しいスタッフの方々に囲まれて何と夫は幸せかとつくづく思う。
この間、いつものように配達をしていると、あるお宅から奥さんが出て来て、いつも同じ時間にきちっと配達してくれてありがとう。これ使って下さい、と言って紙袋を渡してくれたそうで、その中にはくつ下が3足入っていた。夫はとても喜んでいて、今まで地味だけどこつこつ続けてきて良かった、これからも天職と思って続けていくよ、と言ってくれた。あと何年続けられるか分からないけれど、体の続く限り頑張ると言っている夫にエールを送りたい。
夫よ、雨の日も、風の強い日も、雪の日も頑張れ!!
『旧宿場街道の朝』
(信濃毎日新聞社提供)
優秀賞
刻まれた足音
『深雪を踏み越えて』
(神戸新聞社提供)
30年前、新任教師として海辺の町に赴任し、単身生活を始めた。ある冬の朝、深夜から大雪が降り、寒さで目が覚めた。「ザッザッザッザッ」、官舎の暗い通路を誰かが走っている。足音は、ドアの前で止まり不安がよぎったが、「ポトン」という音で新聞配達と分かり、安堵(あんど)した。翌日も、翌々日も、足音はきっかり同じ時刻にやって来た。
数日後の昼休み、バレー部のA子から「持久力をつけるために走って新聞配達をしている」と聞き、足音の主が、華奢(きゃしゃ)な女子高生と知り驚いた。
3年生が旅立ちの日を迎えた。田舎町で卒業後はほとんどの者が親元を離れ、A子も例外ではなかった。就職試験会場で、自身の履物をそろえ、居合わせた来客の履物を当たり前のようにそろえた彼女を見た大会社の社長が、その場で内定を下したそうだ。
それ以来私は「新聞配達は人を育てる」、そう信じてやまない。教員人生もあと数年で終わるが、雪を踏みしめるA子のあの力強い足音は、今もなお、心に刻まれている。
『深雪を踏み越えて』
(神戸新聞社提供)
入選(7編)
気配り
『毎朝の私のこだわりです!』
(産経新聞社提供)
今から25年ちょっと前のことです。当時私は朝早い会社に勤めていました。遅くとも5時半には家を出ていたので、朝刊が届くかどうかという時間でした。
ある朝、玄関の鍵をかけていると、若い配達員さんがマンションの階段を上がってきました。まだ外は暗い時間帯です。ところがその配達員さんは、「この時間にご出勤されるのなら、明日からはもっと早くお届けするようにします」と笑顔で申し出てくれました。次の日から朝刊は5時前に届くようになりました。配達時間を変えるために、それまでの配達コースを変えてくださったのだと思います。それでも笑顔で対応してくださった配達員さんには、感謝の気持ちでいっぱいでした。
私はその会社を2年ちょっとで辞めましたが、毎朝早朝に届く新聞に、配達員さんの気配りを感じていました。そういう気配りのできる配達員さんってすてきだなと思ったこと、今でも私の胸の中に残っています。
『毎朝の私のこだわりです!』
(産経新聞社提供)
災害時に優先すべきもの
『今日も事故のないように』
(京都新聞社提供)
私は消防職員。
数年前の夏、市内では、梅雨前線の影響で大雨による被害が多数発生。朝4時の119番。「道路崩落により1台の軽自動車が山道から落ちかけているもの」。
後日、この報告書を確認し、驚いた。自宅に来てくださる配達員さんの名前があったのだ。幸いケガもなく、話を聞いたところ「あの道を通らなければいつもの時間に配れないから、少し無理してしまった。申し訳ありません。ありがとう」。新聞配達中の事故だったのだ。
配達時間を絶対守るという方々の使命感により、私たちは、毎日、新聞に目を通すことができる。本当に感謝の念しか生まれない。
しかし、このことから私は、伝えたいことが一つある。
「大雨、大雪等の災害時には新聞配達を遅らせ、時に中止することを容認する社会情勢を作りませんか?」
災害時となれば、何より命を守ることに勝るものはないのだ。
今後も配達員の皆様の安全を願っている。
『今日も事故のないように』
(京都新聞社提供)
そうだ、新聞販売所だ!
『待っている読者に思いをはせながら…』
(新潟日報社提供)
その日は母が外出しており、足の不自由な父が一人で留守番をしていた。私が昼休みに電話をしたら、大丈夫だと言う。数時間後に再び電話をしてみると、今度は呼び出し音が鳴り続けるだけで誰も出ない。父は転ぶと自力では立てない。何かあったのか。どうしたらいいんだろう。誰か家を知っている人、様子を見に行ってくれる人がいないか、頭をフル回転させる。
焦りが募る中でひらめいた。そうだ、新聞販売所だ!長年同じ新聞を取っている父と母。配達地域の販売所を調べて電話をかける。「父が一人で留守番をしているのですが、何度電話をかけても出ないんです。見に行っていただくことはできませんか」。必死の思いで頼む。「わかりました。夕刊の配達もあるので見てみます」とのありがたい返事。じりじりする思いで待っていると、私のスマホが鳴った。父は廊下で倒れていた。
あの時、販売所の方が見に行ってくれていなかったらどうなっただろう。販売所の皆さん、本当にありがとうございました。
『待っている読者に思いをはせながら…』
(新潟日報社提供)
夫の残した軽トラで
『急な階段』
(静岡新聞社提供)
昨年3月1日、夫が急逝したため、新聞配達を引き継ぎ、1年が過ぎた。夫が残した愛車(軽トラ)に乗り、朝3時に起きて、57軒配達する。「ラジオ深夜便」から流れる歌を口ずさみ、寂しさをこらえながら、黙々とポストへ入れていく。夫は15年間も朝刊配達を続けた。満天の星の朝は、心がパァと明るくなり、大雨の朝は、暗くて重い気持ちになる。
たまたま、令和4年12月から民生委員の役を受けた。何日も新聞がたまっていると、関係機関へ連絡し、安否確認になる。また、早朝なのに、電気がコウコウとついている家は、夜が明けてから、家の方たちの状況を確認する。今の私にとっての朝刊配達は、一石二鳥だ。一つはお金を得ること、そしてもう一つは、毎朝五千歩近く歩くので、健康につながることだ。そして夫との45年間の生活をふり返りながら、また、明日から、グリーンの愛車に乗り、心の中にいる夫と一緒に、配り続ける。
『急な階段』
(静岡新聞社提供)
寒さを忘れるコーヒーとクッキー
『雨の日の配達』
(読売新聞社提供)
私は今、新聞奨学生として、日本語学校に通っています。新聞配達は天候に左右されて大変だと聞いていましたが、予想以上に、言葉では言い表せないほど大変でした。
ある日、私はいつものように配達していました。その日は特に寒く、冷たい風が肌に刺さるようでした。そんな中、ある家の前で立ち止まると、玄関先に小さなメッセージカードが置かれていました。「毎朝ありがとう。これで温かい飲み物をどうぞ」と書かれ、隣には小さな袋に入った温かいコーヒーとクッキーが置かれていたのです。驚きと同時に、心が温かくなり、早朝の寒さも、その一瞬で忘れるほどでした。お客様が私の努力に気づき、感謝してくれていたことに心が打たれました。
その後、その家のポストに「ありがとうございます。これからも元気に配達させていただきます」と書いた感謝のメモを残しました。小さな触れ合いですが、忘れられないものでした。その日以来、配達が楽しく感じられました。
『雨の日の配達』
(読売新聞社提供)
母には一生かなわない
『荷台にしっかり固定』
(茨城新聞社提供)
母は父の転職を機に新聞配達を始めた。転職で減った父の収入を補うためだ。私はなぜ新聞配達なのかと聞いた。すると母は家事とパートの時間を邪魔しないからだと答えた。
母はどんな日も朝3時に起きて新聞配達に出かけた。そして私が起きる頃には何事もなかったかのように、朝ご飯と弁当ができていた。
私は母の身体が心配で、新聞配達をやめるようお願いしたことがある。母からの返事は思いも寄らないものだった。
「お母さんは新聞配達の時に見る日の出が大好きなの。日の出の太陽は大きくって力強くって。毎日元気をもらうの」
私は返す言葉がなかった。
母は私が就職した後も新聞配達を続け、60歳の時、15年勤続表彰で有終の美を飾った。そして昨年秋、70歳を目前に夢だった富士登山に挑戦し、見事登頂を果たした。感心しきりの私に、母は「新聞配達で足腰を鍛えたからね」と笑った。
辛いこともたくさんあっただろう。だが母は新聞配達を悪く言ったことは一度もない。母には一生かなわない。
『荷台にしっかり固定』
(茨城新聞社提供)
妹へ
『奥へ続く道、配達員への配慮に感謝』
(岩手日報社提供)
新社会人となり、不安でいっぱいの妹ヘ。この場を借りてエールを送ろうと思う。
妹は大学進学と同時に新聞奨学生になった。慣れない土地での生活に加え、学業と仕事を両立させることはとても大変だったと思う。最初の頃は「新聞を濡(ぬ)らしてしまった」「バイクが倒れて泣きたくなった」と、辛いときには電話があった。すぐに家族に会える距離ではなく、逃げ出したいときも電話口から励ましを受けて配達に向かっていたのだと思う。
しかし、配達を続ける中ですてきな出会いもあったそうだ。自分のことを気にかけてくれる販売店の従業員さん、温かい言葉をかけてくれたお客さん。頑張りを見ていてくれる人は必ずいるのだと思った。
4年間続けた新聞配達。最終日に、妹は何を思いながら1部ずつ新聞を届けたのだろう。聞かずとも、電話越しの妹の声調からは、無事に配達を終えたことへの達成感と安堵(あんど)が伝わった。
4年間、お疲れ様。もう、どんな壁でも越えられるはず!頑張れ!
『奥へ続く道、配達員への配慮に感謝』
(岩手日報社提供)
最優秀賞
新聞が読みたい
『ご愛読ありがとうございます』
(北國新聞社提供)
九十五歳のひいおばあちゃんの朝は、めがねをかけてゆっくり新聞を読むことから始まります。そんな毎日が、一月一日の大地しんでこわされてしまいました。
地しんのショックとつかれで、しばらくぼんやりしていたひいおばあちゃんが、やりたいこととして初めて言った言葉が「新聞が読みたい」でした。
のと町のおじいちゃんの家は、色々なところがこわれてしまいました。
家はかい体されるそうです。そのため、今でもテレビでニュースを見ることができません。
そんなおじいちゃんの家にも、毎朝かならず新聞がとどけられています。
新聞はいたつのおじさんの生活も地しんで大変なのに、あちこちひびわれたり、でこぼこになったりした道を運転して、毎朝、新聞をとどけてくれています。
ひいおばあちゃんもおじいちゃんも新聞をまっています。いつもとどけてくれて、ありがとうございます。
『ご愛読ありがとうございます』
(北國新聞社提供)
審査員特別賞
配達はエネルギーの源
『始発前にお届けです』
(毎日新聞社提供)
中学一年生の3月から毎朝5時半、僕は目覚まし時計の音で目覚めている。48軒の新聞配達があるからだ。
新聞配達の時間は僕にとって、エネルギーをもらえるワクワク時間だ。「おはよう。今日も早起きできたね。おりこうさん」。新聞販売所に集まるおじさんやおばさんたちは、優しく声をかけてくれる。「おはよう。新聞配達だね。学校はどこ。頑張り屋さんだね」。配達途中出会う散歩中のおばあちゃん。「おはよう。今日もお疲れさん」。玄関前の庭で僕が配達する新聞を待っているおじさん。僕に話しかけてくれる方の共通点、それは笑顔だ。正直言って5時半起きは楽ではない。しかし無条件に笑顔で僕に声をかけてくれる人たちがいる。配達時間のお天気、風の強さ、気温。新聞配達には配慮事項が想像以上に山積みだ。
48軒の新聞配達を終えた後の僕は、達成感にあふれている。今日の配達に満足し、明日への楽しみもあるからだ。
『始発前にお届けです』
(毎日新聞社提供)
優秀賞
あの日、新聞が届いたから。
『皆で協力して新聞を運ぶ』
(中日新聞社提供)
一月一日、地震が起きた。僕の住む石川県は大きな揺れに襲われた。多くの情報がネット上にあふれ、何をしたらいいかもわからず次の日、また次の日と過ぎていった。だがそんな中でも正しい情報を伝えてくれたもの、それは新聞に他ならない。
能登地方でも、新聞の復活はすさまじかった。僕らの欲する情報を、すぐに届けてくれた。配達の方も被害を受けているのに。毎日毎日、届けてくれた。給水所の場所、自治体の食糧の配布場所・・・。
僕らを支える情報は、新聞という想(おも)いの詰まった温かい紙をたくさんの人で作って、運んでくれるから得られる。当たり前のよう、でもこれは大勢の人の努力の結晶なのだ。
いつも作ってくれて、ありがとう。
運んでくれて、ありがとう。
『皆で協力して新聞を運ぶ』
(中日新聞社提供)
入選(7編)
温かな痕跡
『さあ出発だ!』
(河北新報社提供)
祖父母の家に帰省した時、朝刊の新聞をポストから取ってくるのは私のルーチンだ。
それを居間に持っていき、数枚取ってから祖母に渡して一緒に読んでいる。いつもの忙しさから解放され、ゆっくり時間が流れていくこの一時を、私はとても気に入っている。
でも、その一時を新聞とともに毎日欠かさず送り届けてくれる配達員さんに、私は会ったことがない。
「新聞は人の手で届けられている」。しかし、私が起床する時間には、すでに奇麗に折り畳まれた新聞がポツンと入っているだけ。正直、実感が湧かなかった。
やけに寒かったある朝。いつものように新聞を取りにいこうと玄関のドアを開けた時に私の目に映ったのは、そこら中に積もった雪と、一人分の足跡。もちろん新聞も。配達員さんを身近に感じられた瞬間だった。
その時こみ上げてきた言葉を、これを機に届けたい。
「はじめまして、いつもありがとう」
『さあ出発だ!』
(河北新報社提供)
いつもありがとう
『夕刊スタート』
(日本経済新聞社提供)
私の地域では、数年前まで夕刊がありました。その時、保育園児だった私。
保育園から帰ってきて、外で遊んでいると、毎日バイクの「カチャッ、カチャッ、ブォーン」という音が聞こえてきます。新聞配達のおじさんが来た音です。私は、おじさんが来ると新聞をもらいに走っていき、
「ありがとう」
と言うと、おじさんはいつもニコッとしてくれたのを覚えています。
夕刊がなくなって、あのおじさんに会うことはなくなったけれど、毎朝、新聞はとどけられています。どんなに寒くても、大雨でも、私がねている間にポストにとどけてくれています。
小学生になった今、ポストから新聞を取ってくるのは私の仕事です。
字も読めるようになって、毎日、子ども新聞のらんを読むのが楽しみです。今は、新聞配達員さんになかなか会えないけれど、「いつも朝早くからありがとう。おかげで楽しく新聞が読めています」と伝えたいです。
『夕刊スタート』
(日本経済新聞社提供)
心の支え
『1台しか通れない橋の上を渡る』
(朝日新聞社提供)
今年の2月、私は受験生だった。時間が刻々と過ぎてゆく焦りと受かるだろうかという不安が織り交ざって、毎日のように深夜まで勉強していた。家族もみんな寝てしまって一人になった午前2時、玄関の方からゴトッと音がした。
新聞だ。そのとき、ぶわっと安心感のようなものが湧き上がってきた。それまで新聞が届くことを特になんとも思っていなかった。しかし、たった一人の受験勉強の中、こんな時間に寒い中、新聞を配達してくれる人がいることがすごく心の支えになった。
それから、今日は少し遅いなとか、新聞配達員さんが来るまで頑張ろうとか、自分の中で配達員さんへの意識が高まっていった。新聞は毎日欠かすことなく誰かが頑張って届けてくれている。その事が当たり前じゃないということに気づけて、人生が少し豊かになったように感じた。
これから、雨の日も風の日も勉強は続く。そして雨の日も風の日も新聞は届く。なんだか共にある気がした。
『1台しか通れない橋の上を渡る』
(朝日新聞社提供)
幸 の使い
『さあ新年号。新しい年が始まる』
(西日本新聞社提供)
雨の日でも雪の日でも毎週、定期的に届けられる「楽しみ」があると、どんなに憂鬱な日でも、疲れた日でも落ち込んだ日でも私は元気になれる。「楽しみ」が運ばれる日を心待ちにして、テストや部活、課外活動を頑張って乗り切る。私は新聞の定期的に来るところが好きだ。何があっても自分の「幸せ」は必ず訪れてくるという安心感があり、疲れや焦りで乱れていた自分の軸を整えてくれる。新聞を読むことで、新しい知識や考えを取り入れられ、私に新しい好奇心を与えてくれる。「読む」という行為だけで、身体的、精神的な癒やしと、成長できる余裕をもたらしてくれる。私にとって新聞は「幸」だ。
「幸」を習慣的に届けてくれる新聞配達員さんは「幸の使い」のように感じる。「使い」の皆さんが雨の日でも雪の日でも、新聞という「幸」を届けてくれるから、私は今日も前を向いて頑張ることができる。どんな時でも「幸」を配達してくれる新聞配達員さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
『さあ新年号。新しい年が始まる』
(西日本新聞社提供)
応援してるよ
『田園風景の中を配達する』
(朝日新聞社提供)
「ひなたちゃん、お帰り」
いつも学校帰りに出会う新聞配達のおっちゃんだ。単車に乗り、毎日毎日、新聞を届けてくれる。
ある日、おっちゃんは、手に包帯を巻いていた。配達の途中に転んでしまったそうだ。それでも、新聞を待っている人たちのもとへ配達を続ける姿に、私は、「おっちゃん、すごいなあ」と思った。
別の日には、かっぱを着て配達するおっちゃんを見かけた。私と弟は応援した。
「がんばれ。おっちゃん、がんばれ」
感謝の気持ちを伝えたくて、手紙を新聞受けに入れておいた。気づいてくれるか気になって、単車の走り去る音が聞こえてすぐに新聞受けを見に行った。
手紙がなくなり、新聞が入っていた。気づいて持っていってくれたことがとてもうれしかった。
その後もらった返事の手紙は、私の宝物入れの中に入っている。
おっちゃん、いつも応援してるよ。
『田園風景の中を配達する』
(朝日新聞社提供)
優しさのベール
『読者のために素早く、丁寧に。』
(大分合同新聞社提供)
新聞をとりに外に出る。今日は大雨だ。歩く人も足早で、なんだか私まで落ち着かない。
いつもとちがって、ビニールが二重にかけられている新聞の袋を何気なく開き、取り出す。外側のぬれた袋が新聞に触れた。あっという間に雨水を吸収した新聞紙は真っ黒。二重のビニールは、万が一にも大切な新聞がぬれないための配達員さんの工夫だったことに気付いた。
「作った新聞をそんなに大切に配達してくれて、ぼくらもすごくうれしいなあ」。新聞社でこの話をした時、記者さんはこう言った。
「新聞って『生物』なんだよ。記事は『なまもの』。新鮮なうちに確実に届けることがとても大切なんだ。そして『いきもの』でもあるんだよ。日々進化、変化しているからね」
二重の袋は一つ一つ手でかけられているそうだ。大切な「生物」を包む、せん細でとても優しい、配達員さんの優しさのベールだ。
雨の朝。私は前より優しくなれる。優しいベールをまとった新聞をそっと胸に抱いて。
『読者のために素早く、丁寧に。』
(大分合同新聞社提供)
お母さんを支えてくれてありがとう
『ミニコミの打ち合わせ』
(東京新聞提供)
真夜中、部屋の明かりがついて、お母さんが仕事に出かける。新聞配達に行く。
雨の日も風の日も雪がふっても、私が病気の時だって、もちろん自分の具合が悪くても仕事に行く。
寝ている私をおいて、一人仕事に行ってしまう、そんなお母さんが、小さくて何も分からない私は、大嫌いだった。
けれどある日、お母さんが、
「いつも寂しい思いをさせてしまってごめんね」と私に言っていた。
そうだ!新聞を読んでくれる人がいることで、お母さんは仕事ができて、私たちは暮らしている。
今ではそれが分かる。だから夜は少しだけ心細い時があるけど、がまんするね、お母さん。
だから、新聞が届くのを待ってくれている人たち、お母さんを支えてくれている人たちに心から感謝したいです。ありがとう。
『ミニコミの打ち合わせ』
(東京新聞提供)
(敬称略)