笑いのもとは新聞記事 2015年10月
萩本欽一・コメディアン
高校に入って1年ほど新聞配達のアルバイトをしてました。学校に運動靴を履いていったら、革靴じゃなきゃいけないって怒られて。アルバイト代で革靴買ったときはすっごくうれしかった。
朝起きるのは何でもなかった。新聞を入れると雨降っているときにぬれちゃいそうな郵便受けがあって「ぬれちゃうと読む人がっかりするだろうな」と思って、ミカン箱で郵便箱をつくって置いてきた覚えがあります。
新聞はスポーツとか好きなところだけ読んでました。弁当が新聞でくるんであって、活字を読みながら食べるとおかずに不満が出ないんです。
今は朝起きたらすぐ大学に飛んで行っちゃう。洋服着ている間にテレビのニュースを見て、夜、深々と新聞を読みます。
新聞がテレビに絶対負けないところは文末。語尾が好きなんです。「狙いがある」「深まりそう」「何々の模様」「説明した」「強調した」。ここからいろんなことが推理できるんです。記者が「このやろう。ふざけやがって」と言いたいのを、いっぱいいっぱいの言葉を探して書いてるんです。「この株上がる」って書いたらえらいことになるでしょ。これを読むので新聞は面白い。何度も読みます。
いま子どもたちが割と大人の言葉を深く読めないんですよ。「お前駄目だ」って言うと、「怒られちゃった」ってなる。「ひょっとすると俺のこと好きなのかな」とは受け取らない。新聞は大人と付き合うのにもってこいの教科書なんです。
ときどき新聞が「またやっちゃった」みたいなときがあるけど、あれはその新聞が面白いということ。一歩前に出ているんです。一歩前に出て大丈夫なときもあるし「いけねえ」ってときもある。それがなくなってくると、うしろに刺激とか隠れた部分がなくなってきて、新聞の役目が終わるんじゃないですかね。
コント55号の笑いのもとは新聞記事だったんです。「今日何やろうか」ってときは必ず朝、新聞広げてました。「型にはまらない結婚式が増えている」って記事があると「ジェット機飛ばしましょうよ。派手ですよう」。「飛びます、飛びます」っていうのはそこから出てきたんです。
- 萩本欽一(はぎもと・きんいち)
- 1941年、東京生まれ。66年に坂上二郎とコント55号を結成。80年代には人気番組を連発して「視聴率100%男」と呼ばれた。2005年に野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を立ち上げ、監督に就任。今春、駒沢大学仏教学部に入学した。