新聞について聞きました!著名人インタビュー

「知」の世界につながる鍵穴 2014年10月

玉岡かおる・作家

 子どものころの「新聞」のイメージというと、何紙もの新聞を読む父と、それに怒っている母の姿。うちは商店だったのだが、お客さんが来ても父はじっくり新聞を読んでいる。母や私たちは「何が面白いの?」と思っていた。

 でも、ややこしい宿題や夏休みの自由研究などで疑問がわくと父の登場となった。とにかく恐るべき博覧強記ぶりで、何でも知っていた。

 私が大学生になって「ベトナム戦争について、学校の先生がこう言っていた」と言うと、父は「そういう人もおるやろな」。複数の新聞を読んでいたので、客観性を持てる読み方をしていたのだろう。偏らない新聞の読み方が大事なんだなと教えられたように思う。

 その父も95歳。今でも新聞を5紙取っていて、私が記事に出ると「これは良かった」「面白いなり」などと書いたファクスが来る。「5紙もいるの?」と聞かれても「何はなくとも、これはそうさせてもらう」と言っている。

 新聞は「知」という大きな部屋につながっている「鍵穴」だと思う。たとえ斜め読みでも、その後、他紙と比べたり週刊誌を読んだりすれば知識が広がる。書評で紹介された本を読んでみたいと思って扉を開けたら、本の世界に入ることができる。小さい鍵穴でも、一歩踏み込めるかが、その人の宝になるかどうかの分岐点になる。

 ニュースの世界でも、確かにテレビは速報性やビジュアルに訴える力はすごいと思うけれど、それを見てしまえばそこで完結、分かった気になってしまう。それに比べて活字は完全ではないから、次へ次へと扉を開けることができる。「ほかはどうなっているのだろう?」「この先どうなるのか?」と疑問がつながっていくのが活字の醍醐味(だいごみ)だろう。

 さしあたり必要な情報ならネットで簡単に得られる。でも「そういうことだったのか」と思わせてくれる解説記事や、旅や料理など心を高揚させてくれる情報なら、やはり新聞だと思う。

 若い人の新聞離れが言われるが、もっと学校現場で新聞を活用してほしいと思っている。その日その日のトピックを取り上げるなど、カリキュラムとは違う新聞の生かし方があるはずだ。それが総合的な考え方ができる人間を育てることにつながるのではないだろうか。

玉岡かおる(たまおか・かおる)
1956年兵庫県生まれ。神戸女学院大卒。「お家さん」で織田作之助賞大賞を受賞。執筆活動の傍ら、テレビのコメンテーターとして活躍、兵庫県教育委員も務める。近著に「虹、つどうべし」「ひこばえに咲く」。