新聞について聞きました!著名人インタビュー

読めば分かる世の中の成り立ち 2014年4月

曽我部真裕・京大大学院教授

 新聞に最初に触れたのは小学生の頃。子供向けの新聞だった。今は複数紙を購読している。新聞を読むと、自分の専門外のことでも一通りのことが分かるので、それをきっかけに本を読んだり、違う世界の人たちと話をしたりする時に役立つ。

 また、新聞報道を通じて、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えがあり、自分が同意できなくても「世の中はこうして成り立っているのか」と分かる。社会の多様性を身をもって理解できるという利点がある。

 インターネット時代は情報が大量に入ってくるので、次から次へと目移りさせられる。情報収集の面から必要なことだが、一方で、しっかりした文章をじっくり読んで理解する力が弱くなってきている。両方の力が必要だ。

 法科大学院でも教えているが、学生たちには「法律家にとって一般常識は重要。良い答案を書くためにも、新聞を読むことが大事だ」と伝えている。

 家庭では、新聞に掲載された話題をめぐって親子で話ができる。コミュニケーションのツールとしてもリビングに「紙」があるのはいいことだ。

 健全な民主主義と文化の発展に寄与するという、新聞の公共性を考えた場合、ポイントは二つあると思う。

 一つは、継続的に取材して情報をパッケージにして発信しているのは、基本的にはマスメディアしかないという点。ネット上の情報も元はマスメディアが出所であることも多い。報道に対するニーズは、決してなくならない。とりわけ現代のように情報が大量にある時代には、個々のニュースを格付けしてパッケージとして提示してほしい、という要望は確実にある。

 注文をつけるとすれば、地方分権が昔よりはるかに進んだのに、その核となる首長の考えや動向に関する記事が地方紙も全国紙も足りない。自分たちの住む地域は自分たちで作り上げる時代になった。それに資する報道が求められているからだ。また、記者一人ひとりがスキルを磨き、より専門性を高めるべきだと思う。

 もう一つは、戸別配達のネットワークがあることで新聞が毎日届く、つまり生活の一部になっており、現状ではまだまだ捨てがたいという点だ。

 消費税増税もあり、新聞社にとって経営的には厳しい局面だ。戸別配達の維持には相当なコストがかかっており、これが困難になっていくとすると何らかの支援があってもしかるべきだと思う。

曽我部真裕(そがべ・まさひろ)
1974年生まれ。2000年3月、京都大学大学院法学研究科博士後期課程休学、司法修習生に。同科准教授、パリ政治学院客員教授を経て13年4月から現職。専門は憲法・メディア法。著書に「反論権と表現の自由」。