新聞について聞きました!著名人インタビュー

税率の軽減は社会の利益 2014年10月

斎藤孝・明大教授

 私は大学で教員養成を仕事にしている。最も反響が大きいのが新聞切り抜きの授業だ。気に入った記事を切り抜いてノートに貼り、簡単な要約とコメントをつける。なぜこの記事を選んだのか、読んでどう感じたのかをグループで発表する。

 「今まで新聞を読んでなかったのがもったいなかった」「社会への関心が高まった」といった声が寄せられる。要するにこれまであまり新聞を読む機会がなかったんだなと感じる。

 インターネットの時代になって、情報はタダであるという大きな流れができてしまったのが残念だ。何もお金を払って紙で読む必要はないじゃないかというふうな風潮になっている。

 意外に見落とされがちだが、インターネットやテレビのニュースは元をたどると新聞の取材によるものが多い。テレビでコメントをしているが番組は基本データの多くを新聞から取っている。

 情報偏食を防ぐ効果もある。インターネットでは関心事だけをチェックしがちだが、新聞ではいろんな分野のいろんな情報が取り扱われている。「あっ、こんなこともあるのか」といった新たな情報の発見がある。

 新聞はそれだけ力のある媒体だが、取る人が減っている。憂うべき現実だ。ひとつには新聞が日本語力の基礎を支えてきたと思うからだ。これまでは毎日宅配される新聞を通して、実用的な日本語の訓練を積んできた。毎日10キロを走るように下半身を鍛えてきた。新聞は意味を伝えるのに必要最小限の言葉を使っており、日本語として非常に密度の高いものだ。

 さらに、新聞には大きな公共性があると考えている。民主主義の基盤には権力監視があり、新聞社の取材力がそれを支えている面が大きい。取材力が落ちてくるとどうなるか。いろんな側面から物事をみるとか、新しい情報が掘り出されるという機会が減る。権力に都合の悪い情報も減る。

 新聞を私たちは購読料というかたちで維持をしてきた。いわば民主主義を維持するための投資だった。紙の新聞を取り巻く厳しい状況を考えてみたとき、新聞にかかる税率を軽減することが私たちの社会にとって有益なのではないか。

 そうでないと、私たちは気がついたら、情報はあふれているようだけれども、実は知る権利が非常に弱い社会に陥る。そうなってからでは遅い。新聞社には、取材力を高め、信頼できる情報源であるよう一層の継続的努力を望みたい。

斎藤孝(さいとう・たかし)
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒。同大大学院教育学研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション技法。著書に「声に出して読みたい日本語」「新聞で学力を伸ばす」など。