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2008年 10月7日
政策決定過程を原点から検証

熊本日日「川辺川ダム 知事たちの軌跡」

熊本県の川辺川に計画されたダム建設に、蒲島郁夫知事が「反対」を表明した。四十二年に及び住民の間に深い亀裂を生み、地域に影を落としてきた巨大公共事業計画。この問題に歴代の知事はどうかかわってきたのか。九月十一日の蒲島知事の「決断」に先立ち、十五回にわたって歴代六知事の政策決定プロセスを検証した。

発端は、戦後初の公選知事の桜井三郎知事(在任一九四七―五九年)。敗戦からの復興に向け、米国ニューディール政策の象徴でもあるテネシー川開発事業に倣い五〇年一月、球磨川流域のダム建設によって電源開発し、工業県への発展を説いた。表明した開発計画には川辺川の「相良ダム」が盛り込まれた。

そして寺本広作知事(五九―七一年)二期目の六六年に、旧建設省が治水専用の川辺川ダム計画を発表した。五木村議会は当初、ダム建設に反対するが、抵抗するより、ダムを契機に新たな村づくりを目指すという村民の思いも広がった。

自民党参院議員から転身した沢田一精知事(七一―八三年)は着工に向けて動き、地元住民の意見が分かれたまま基本計画を県議会に上程。国、県に対する不信と村民間の溝を深めた。細川護煕知事(八三―九一年)を経て、福島譲二知事(九一―二〇〇〇年)の時代にはバブル経済崩壊もあり、大型公共事業見直しの機運が拡大した。

転機は潮谷義子知事(二〇〇〇―〇八年)。歴代知事の「建設推進」から「中立」へとかじを切った。是非の判断には至らなかったが立ち止まって考える時間が与えられ、今年四月に就任した蒲島知事の決断につながった。「ダム計画の歴史と県が果たした役割を原点から検証した」と社会部の木村彰宏次長。同部の岩下勉記者が中村勝洋記者と共に取り組んだ。(審査室)

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