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2008年 10月14日
豊かな山の全容を多彩に描く

荘内日報「恵みの山 鳥海山」

山形・秋田県境に、日本海からなだらかな稜線を描いてそびえる鳥海山(標高二二三六メートル)。東北第二の高山だが、一位の燧(ひうち)ヶ岳(福島県)は関東にもまたがる山であり、庄内の人々は「鳥海山こそ東北一の山『出羽富士』」と呼ぶ。四月からの一面連載(週一回)は「その姿は、たまらなく美しく、気品がある」と書き出し、恵み豊かな山の全容を歴史や信仰も交えながら多彩につづる。

鳥海山は山全体が御神体の神体山だ。山頂には五穀豊穣の神を祭る「大物忌神社」御本社がある。ふもとでは毎春の祈年祭で田畑の実りを願い、集落の代表者が山頂に登拝する。夏の火合わせ神事では豊作や豊漁を祈る。「神宿る山」は人々の心のよりどころでもある。

活火山である鳥海山が産声を上げたのは約六十万年前。四期にわたる火山活動で現在の山容が形成された。近年では一九七四年に山頂付近で水蒸気爆発があった。ふもとは古代から生活好適地で縄文や後期旧石器時代の遺跡が見つかっている。

山から流れ出る月光川水系は、日本海側有数のサケの人口ふ化・放流の川だ。明治時代から取り組みが始まり、毎年約二千六百五十万匹ものサケが放流される。熱帯・亜熱帯地域に匹敵する雨量と万年雪が豊かな地下水をはぐくみ、湧水となって生活を潤す。岩ガキ、アオサなど海の恵みも山の豊かな水のおかげだ。

江戸時代に秋田と山形側の衆徒が山頂領有を争い、その時の幕府評定所の裁定が山頂を山形側とする現在の県境となったという史実も紹介。イヌワシやお花畑などの環境保護や観光にも触れながら、連載(現在二十四回)は年内いっぱい続く。

筆者は粕谷昭二論説委員。「酒田勤務の時代、毎日の取材がてら眺める山の美しさに魅せられ、いつか書きたいと思って資料を集めていた」という。題字は小野寺喜一郎・遊佐町長。(審査室)

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