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2008年 11月4日
転換期迎える山のドラマ追う

島根日日「三瓶を歩む人々」

島根県大田市にそびえる三瓶山(標高一一二六メートル)が一九六三年に大山隠岐国立公園に編入されてから四十五年。開拓、埋没林発見など、山を囲んだドラマがいくつも展開されてきた。九月から十月にかけての一面連載八回は、山と人とのかかわりを追っている。

山麓の旧陸軍演習場跡地に一九四六年、「三瓶開拓団」十六戸が入植し、開拓は始まった。食料は乏しく、せめてみそ汁の気分をと、ぬかに塩を混ぜてすする人もいたという。収入は国からの補助金と労賃。農業での収益を図るのが課題となり、選んだ酪農は順調に進んだが、六三年に豪雪に見舞われて「すべて初めから仕切り直しだった」(前三瓶開拓酪農農業協同組合長)。危機は組合員の団結で乗り切った。現在組合員は二十八戸。農協名に開拓の文字が残るのは団結の証しだ。

同市三瓶町の三瓶小豆原埋没林公園にある地下棟に、発掘時の状態で三千五百年前の埋没樹が展示されている。中でも直径二・四メートル、立ったまま高さ十二メートルが残ったスギは年間五万人の来訪者を圧倒している。八三年の農園整備で見つかり、一度埋め戻された埋没樹が九八年に掘り出されたのは、発見時の一枚の写真がきっかけだった。威容に驚いた高校地学教諭を自費調査に走らせ、県の本格調査、発掘現場での保存展示につながった。

三瓶の観光は転換期を迎えている。温泉街や景勝地の湖沼にかつてのにぎわいはなく、リフトや温泉管理などの施設を所有運営する市保養施設管理公社は来年度中に解散の方針。三瓶まちづくり委員会が進めているサクラの植栽など、三瓶の自然を生かした活性化策がいま待ち望まれている。

「三瓶の良さを再認識してもらいたかった」と錦織理花・大田支局長。支局員の児島久美子記者と担当した。(審査室)

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