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2008年 12月2日
福井発「世界のナンブ」の軌跡
福井「朗らかな探究」
「大きな夢を抱いて、朗らかに生きよう」。今年のノーベル物理学賞に決まった南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授が若者に寄せた言葉だ。福井市名誉市民の南部さんを文化生活部の福田淳記者がシカゴに訪ね、十一月に八回連載で「世界のナンブ」の軌跡をたどった。
南部さんは東京で生まれ、二歳のときに関東大震災に遭い、父親の故郷、福井市に一家で移り住んだ。旧制福井中学を四年で修了、旧制一高を経て、物理学を志して東大へ。一九五二年に米国に渡り、やがて、シカゴ大でノーベル賞につながる「素粒子」の研究に没頭していく。歩いてきた道は平坦ではない。日本が貧しかった時代、物理学者として実験か、理論かとなったときは「紙と鉛筆があればできる」と理論を選択した。研究環境が整っていない戦中、戦後も苦難の連続だった。それでも常に前を見続けてきたという。
南部さんは八十七歳になった今も週に一、二回、セミナーに参加するためシカゴ大に通う。世界各国から集まった一流の頭脳が最新の研究成果について情報や意見を交換する大切な場だ。一高時代には「アンナ・カレーニナ」を読むため、「落第ぎりぎりの欠席に挑戦した」ことも。シカゴでは新しい彗星(すいせい)を発見したが、申請わずか五分の差で「命名」を逃し、親友によれば「いつも穏やかなナンブが、すごく悔しがっていた」。連載からは、探究心とともに、好奇心のかたまりのような姿が浮かび上がる。
文化生活部の遠藤富美夫部長は「福井には人材を伸び伸びと育てようという教育風土がある。そんな地で育ったこともノーベル賞につながった一つではないか」と語る。半世紀を過ぎたシカゴ暮らしの今も「日本語で話していると福井弁が出る」という南部さん。タイトルに添えた直筆の署名は「快く引き受けてくれた」という。(審査室)