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2009年 4月14日
連続児童殺害 追い続け125回
北羽「検証 幼い命がなぜ...」
秋田県藤里町で起きた連続児童殺害事件から三年。仙台高裁秋田支部は三月二十五日、畠山鈴香被告に一審判決通り無期懲役を言い渡した。二〇〇七年四月に事件一年後の検証から始めた企画は、一審(同年九月―〇八年三月)と控訴審(〇八年九月―〇九年三月)のすべてを傍聴し詳報、第一部から第八部まで二年間、計百二十五回にもおよぶ長期連載となった。
第一―三部は畠山彩香さん(当時九歳)、米山豪憲君(当時六歳)殺害事件の捜査や畠山被告の生活歴・人格、地域の衝撃を振り返った。第四―七部は一審を初公判から判決まで、第八部は控訴審を判決まで検証した。毎回第二社会面(時に一面)の半分近くを割いた紙面に力の入り方が伝わる。
初公判前の特別編「北羽新報は―」(〇七年九月十二日)は、彩香さんの死を当初「誤って川に転落か」と報じた後悔、豪憲君殺害判明後の集団的過熱取材への自問自答やマスコミ批判に触れ、「藤里事件を報道し続けていくことが、信頼回復に応える道」「この地で起きた事件を書き続けることこそが(略)『地域紙らしさ』」と書いた。「その思いを持ちながら続けてきた」と伊藤仁報道部長。
追求してきたのは「なぜ幼い二人 の命が奪われなければならなかったのか」だ。しかし第八部の「控訴審判決」最終回は、畠山被告は「公判審理を通して事件のことを何も語ろうとしなかった」と書く。「決定的な新証拠の提出・採用もないまま検察、弁護側の主張だけが先鋭化していった」末の判決。「いまだ真相が明らかになったとは言い難い」
弁護側の上告で審理は最高裁に移るが、法廷取材では解明できなかった真相に、いずれ被告本人や周辺への取材で迫りたいと思っている。「いつできるか分からないが、その時が本当の完結」(伊藤部長)という。伊藤部長と川尻昭吾記者の二人で担当してきた。(審査室)