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2009年 10月6日
ダムに翻弄された住民の思い
上毛「八ツ場の57年 苦悩の軌跡」
利根川上流、群馬県長野原町の八ツ場(やんば)ダムは民主党のマニフェストで無駄な公共事業と名指しされ、前原誠司国交相は就任直後の記者会見で「工事中止」を明言した。工事の継続を求めていた地元は急な発言に驚き怒った。国交相の現地訪問で国民の関心が高まった9月23日から、社会面で「ダムに翻弄(ほんろう)されてきた住民の歴史を振り返る」として、連載を開始した。
計画が浮上したのは1952年。47年9月のカスリーン台風で利根川が決壊、群馬県だけでも600人近い犠牲者を出した。当時の建設省は治水のため利根川水系に複数のダムを計画、その一つが吾妻川の八ツ場ダムだった。
激しい反対運動が起きる。53年2月、吹雪の中での反対集会を報じた上毛新聞の記事も引用、「住民約八百名が、手に手にムシロ旗やプラカードを持って参加」し、「先祖伝来の郷土を守れ」「生活権を死守せよ」などと叫んだという。
吾妻川が酸性川という理由で59年、計画が凍結されるが、中和事業が成功して、6年後に計画が再浮上する。洪水の心配が減り、ダムの目的も従来の治水に利水が追加された。「首都圏の水がめ」である。
反対運動も分裂し、絶対反対派と条件付き賛成派は狭い地域で口もきかなくなった。町議会も賛成派と反対派の対立で混迷の度を深めていく。当時を知る82歳のお年寄りは「ダムのことで、また頭を悩ますのはたくさんだ」と深いため息をつく。すでに水没地区の340世帯のうち、260世帯は補償を得て移転したが、今後、生活はどうなるのか、住民不安は大きい。県民の関心は高く、世論調査では40%がダムに賛成、27%が反対だった。編集局の取材班が担当し、20回余りを予定。関口雅弘報道部長は「まず長い歴史を振り返って、判断の材料を提供したい」と語る。 (審査室)