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2010年 1月12日
消えゆく行商女性の生きざま

荘内日報「庄内浜のあば―悲哀と快活と歴史と」

「あば」は山形・庄内地方では、かつて日常的に使われていた母親の呼称だ。今では魚を売り歩く行商の女性を指す。バイタリティーあふれる姿を、人々は「浜のあば」と親しみを込めて呼ぶ。まんじゅう笠をかぶってリヤカーを引く姿は城下町・鶴岡の風情によく似合う。歴史は藩政時代にさかのぼり、食糧難の戦後は家庭の食卓を支えた。最盛期は庄内で800人を超すあばが活躍したが時代の変化に押されて減り続け、今は十数人が残るだけだ。年齢は70歳半ばから80歳代、いずれ姿を消す運命にある。あばたちの厳しくたくましい姿や歴史を、昨春からの1面企画(週1回)が哀愁を込めてつづっている。

酒田最後のあば上嶋みよさんは82歳。午前3時半起床、自転車で港の市場に行って魚を仕入れ、魚箱2箱を担いで始発列車に乗り込み、リヤカーで檀家(得意先)を回る。21歳であばになってから、お産のとき以外は休んだことは一度もない。

現役最高齢89歳の坂本富野さんは14歳で子守奉公に出た後、22歳であばになった。かつてリヤカー引きを助けてくれた秋田犬ジョンのことが忘れられない。今も週2回ずつの仕入れと行商をこなし、「この仕事が好きださげ百(歳)までも働きでど思っている」と話す。

連載は「寝る間さえなく働いた」あばたちの生活や、混雑した「あば列車」、終戦直後の鶴岡駅前での青空市場、行商組合設立などの歴史、リヤカーに代わる移動販売車の登場や温泉朝市での活躍などを詳細に伝える。

執筆は2008年の連載「恵みの山 鳥海山」と同じ粕谷昭二論説委員。「かつて敬老の日の企画で取材した時、あばの達者さに驚いた。話を聞いて興味を引かれ、ぜひ書き残しておきたいと思った」という。昨年中に36回を数えた連載が年明けから再開された。(審査室)

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