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2010年 2月16日
日本の統治、証言で掘り起こす
中国「刻まれた記憶―韓国併合100年」
今年は「日韓併合」から100年。日本が朝鮮半島を統治したあの時代は何だったのか。何を今にもたらしたのか。文化面で始まった連載は、中国地方と半島をつないで、日韓双方の人々の当時と今を丹念に掘り起こし、静かに問い掛ける。
1月掲載の第1部「移住村 統営(トンヨン)」(7回)は韓国慶尚南道の港町が舞台。広島、岡山、山口県など瀬戸内の漁業関係者らが多く移り住んだ。「住みやすい平地は日本人が占め、朝鮮人は山すそに多く住んでいた」と今は広島在住の在日韓国人男性。
瀬戸内漁民のイワシ網漁やイリコ生産などの進出で町は繁栄。日本人町ができ、港湾や道路の整備も進み、飲食店や映画館、キャバレーでにぎわった。近くには出身県ごとの集落「広島村」や「岡山村」も誕生。各県が用地取得や住居建設を多額の補助金で後押しした。
日本人の業者は立派な家屋に住み、「朝鮮人との生活格差は、子どもでもはっきり感じた」。小学校も別で、一緒に遊ぶこともほとんどなかった。朝鮮の子どもは学校で母国語を禁止され、日本語が「国語」。皇居のある東方角に最敬礼し、教育勅語も暗唱させられた。戦時には「日本人巡査に食器をすべて持っていかれた」。統営市在住の韓国人男性は今も憤る。
だが、当時の統営中学には今でも慕われる日本人教師もいた。朝鮮人生徒にも心を砕き、「朝鮮の歴史を勉強しろ」と諭した。朝鮮人の中には敗戦時に引き揚げる日本人を港に見送り、「乱暴してはいけない」と同胞に呼び掛けるお年寄りもいたという。加害と被害の歴史は一筋では描けない。
「大所高所から頭で考えるのではなく、人に焦点を当て、事実を掘り起こしたい」と藤川寿哉文化部長。韓国語が達者な伊東雅之記者を統営に派遣。道面雅量記者が国内取材に加わった。第2部は3月上旬からの予定。(審査室)