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2010年 2月23日
菅家さんの名誉回復こそ責務

下野「らせんの真実 冤罪・足利事件」

冤罪(えんざい)だった足利事件。栃木県警はどんな捜査をしたのか、菅家利和さんはなぜ虚偽の自白をしたのか、DNAの旧鑑定が果たした役割とは。地元紙の責任を果たそうと昨年10月にスタートした力作である。

被害者、松田真実ちゃん(当時4歳)は能登半島の小都市で生まれた。父は病院職員、母はバスガイド。平和な生活を営んでいたが、知人の借金の保証人に勝手に名前を使われ、執拗(しつよう)な取り立てから逃れて京都へ。さらに足利市へ。序章「発生」の第1回は能登半島に女児の祖母を訪ねる。祖母の悲痛な言葉。「足利にぃ、殺されるために行ったようなもんねぇ」。

第1章「捜査」。足利市では未解決の女児殺害事件がすでに2件起きていたから、警察は必死だった。不審者の一人として菅家さんが浮上し、尾行が始まる。半年たっても不審な点はなかったが、ゴミから体液が付いたティッシュを押収。真実ちゃんの下着に付いた精液と鑑定することになった。下着の精液は微量。県警の技官が電話で2度、警察庁科学警察研究所に相談したが、微量を理由に鑑定を断られる。しかし、一転引き受けたので「内心驚いた」と述懐する元捜査員。

第2章「妄信」で旧鑑定のずさんさを詳細に暴いた。警察庁は鑑定の機器を全国の警察に配備する実績作りのために事件を利用した、という構図が浮かぶ。第3章「自白」は密室の生々しいやりとりから追いつめられた菅家さんの心理状態に迫り、推理小説を読むようだ。捜査員は現場の写真数枚を見せて「どうやったんだ」。取調官に誘導されながら虚偽の物語を作っていく菅家さん。野村明敏社会部長は「菅家さんの名誉回復は私たちの責務。さらに解明を続ける」。取材班は茂木信幸、島野剛、沼尾歩の3記者。担当の手島隆志デスクは20年前の駆け出しの頃、事件を取材した。(審査室)

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