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2010年 3月30日
最後の一人、消えゆくムラに涙
山梨「やまなし ふるさとの地平2010」
「楢山節考」のようなディープな山梨が描かれている。第1部「消えゆくムラ『折八』(身延)」は1月3日、1面で始まった。身延町の山の中、折門(おりかど)地区の御弟子(みでし)集落は40人が暮らしたが、今は無人。最後までいたのは赤池かめ代さんだ。7人の子どもたちは出て行き、一人、野菜やお茶を細々と作ってきた。肺の病気で酸素ボンベを引き、スキーのストックで支えながらの畑仕事。昨年1月、家族が引きずるようにして、韮崎市の長女の家に連れてきた。しかし心は御弟子に。3月、見舞いにきた親類に病床で「おれも御弟子につれてけえってくれよお」と泣いて懇願した。亡くなったのはその4日後。86歳。
2月に第2部「『上九一色』分村合併のあとに」を掲載。上九一色村は4年前、南北に二分して甲府市と富士河口湖町に合併した。オウム真理教のサティアンへ大規模な家宅捜索が入って15年。当時中学生だった小学校の教師は子供にオウムを教えたことはないし、知る子も少数という。風化する記憶。ある家で中学生が祖父に「オウムって何」と聞いた時、祖父はひどく驚いた。かつてオウム対策委員長で「狂気の集団」と対峙(たいじ)したからだ。孫にアルバムを見せて教団の異様さを話す。中学生の母親は別の見方。「もとは普通の人たちだったのよ」。
合併後、3診療所が閉鎖、その一つに30年間、車で通い続けたのは山梨赤十字病院の斎藤恵男名誉院長。診療より人生相談の時間が長く「聞いちゃいけないような話もあったね」。顔を見ると抱き付いてくる患者が今もいる。
14年前、「ふるさとの地平1996」を1年連載した。今回はその続編。「何が変わり何が変わらないか報告し、ふるさと山梨の将来、地域の在り方を考えていきたい」と鈴木精貴地域報道部長。取材班には各部の記者が集まる。(審査室)