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2010年 8月10日
「あの日」と今、軌跡をたどる
中国「被爆65年ヒロシマ基町」
原爆の爆心地から1キロの広島市中区基町。被爆から65年目の夏を迎え、そこに住む人々は何を思い、どう暮らしているのか。7月の社会面連載(2部12回)は下町の日常生活を通して、市井の被爆者らの「あの日」と今をつなぐ軌跡をたどった。
第1部は「3人の軌跡」。基町の高層アパートで一人住まいの女性(79)が6月、肺がんで亡くなった。直接被爆者らの看護で放射線を浴びた「救護被爆者」。だが、生前はそのことを詳しく語ったことはない。長女(57)も遺品の証明書を見て初めて知った。
「ああ、そうじゃったん」。同じアパートで仲の良かった91歳と86歳の女性も独り暮らし。3人は声を掛け合い、支えながら暮らしてきた。だが、親しい仲でも「あの日」のことは進んで口にしたくはない。友の65年前を初めて聞いた2人は遺影を前に、ためらいがちに口を開く。
「私はひきょうなんよ。逃げたから。申し訳なくって」。91歳の女性は被爆後、「助けて」の叫び声を振り切るように逃げたことが今も忘れられない。86歳の女性は原爆投下の2日後、乳飲み子の長男を連れて市内に入った「入市被爆者」。息子が早く亡くなったのは、入市被爆のせいではと悔やんでいる。
第2部「今なお」は同じ高層アパート群に暮らす被爆者らの家族や地域とのきずなを描いた。「普通の人々の日常の姿を描くことで見えてくる被爆65年の軌跡を伝えたかった」と総合編集本部ヒロシマ平和メディアセンターの江種則貴・編集部長。
今なお、体験を進んで語ろうとしない被爆者は少なくない。だが、高齢化が進む中で、「今のうちに若い世代に伝えよう」と少しずつ語り始める人も増えてきた。20~30歳代の林淳一郎、増田咲子、新田葉子の3記者が担当。原爆報道も世代を超えて受け継ぐ。(審査室)