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2010年 10月5日
苦闘する白亜のデパート
東愛知「豊橋丸栄の〝再生〟」
地方百貨店の苦境が続くなか、愛知県豊橋市の「豊橋丸栄」(床面積1万5千平方メートル)が7月、経営危機に陥った。親会社の名古屋の百貨店「丸栄」は支援を断念し、全株式を東京の投資ファンドに売却。屋号は「豊橋丸栄」のまま大リストラを実施し、9月再スタートを切った。豊橋が中心の東三河地方(商圏人口80万)唯一の百貨店は生き残れるか。この連載は8月に1面で5回、歴史を振り返り再生の苦労を描いた。
1974年10月1日のオープンは華やかだった。地元政財界の応援を受けて祝賀パレードが繁華街を練り歩き、タレントの高島忠夫さんと歌手の佐良直美さんも駆けつけ黒山の人だかり。開店3日間の売上高2億円、特に翌11月の北海道大物産展は大変なにぎわいだった。
売上高の最高は92年度の161億円だが、昨年度は82億円と半減し2億円余赤字。過去にも3回の危機があり新会社設立や増資、リストラで乗り切ったが、今回のリストラは特にきつい。正社員97人に早期退職者40人を募集したら45人が応募し8月末に退職した。残る社員も役員で5割、従業員で2割の給与カット。9階の衣料品売り場は閉鎖し、部長クラスも各売り場に立つ。思い切った低価格帯の品ぞろえ、他の地方百貨店との共同購入など模索が続く。年間70億円台の売り上げでも利益を出せる態勢づくりが至上命題。安藤和男営業副本部長は「70億は全社一丸、必ず達成しなければならない数字」と悲壮な決意だ。9月2日開店。8階催事場の第1弾は「ハワイアンフラフェア」。フラダンスが再出発を盛り上げた。
杉浦文夫編集局次長と報道部の竹下貴信記者が担当。杉浦局次長は地元出身、「開店した時、白亜の10階建ては都会のシンボル、市民の自慢だった。その歴史と再生の苦闘を読んでもらいたかった」と語った。 (審査室)