2011年 5月31日
千年に一度の津波を記録に

デーリー東北「検証・東日本大震災」

3月11日午後2時46分。東日本の太平洋沿岸を激しく長い横揺れが襲った。間もなく、黒い波が青森県南部・八戸市の象徴であるハマを丸のみにした。想像を絶する光景に市民はパニックに陥り、悲鳴を上げて逃げ惑った。東日本大震災。生々しい記憶が残る大災害を検証し、課題を探った。

4月に1面で6回連載した「大津波 襲来」は、「津波はどう襲ったか」を目撃者の証言や各種データなどから伝えた。

八戸港の物流拠点である八太郎地区の港湾運送会社の男性従業員が、目撃した津波襲来の一部始終を語る。午後4時ごろ、徐々に海面が上昇し「風呂の水があふれるように岸壁に流れはじめ、駐車中の車のドアの高さまで達した」のが「第1波」。この後「ものすごい勢いで港内の底が見えるくらい波が引いた」。そして埠頭(ふとう)で高さが6メートルを超えた午後5時ごろの「第2波」が、港と工場群を一気にのみ込んだ。

だが八戸市内の津波による死者は1人。港湾関係者は、総延長3494メートルと東北有数の規模を誇る北防波堤が4割損壊しながらも「一定の役割を果たした」と指摘した。

5月に社会面で8回続けた「混乱の中で」は、自治体の防災計画で想定しきれなかった「被災の現実」を伝える。避難者は八戸市が想定していた5倍以上に上り、受け入れ対応が手間取ったこと。避難所での情報の遅れや遮断が、視力と聴覚の障害者の不安感を増幅させたこと。ガソリン、灯油などの供給不足や、物流機能マヒによる物資不足が日常生活に混乱を引き起こしたことなど。

「未曽有の大震災でライフラインが途絶えた影響は思いのほか大きかった」と連載は分析する。

「千年に一度の大津波を記録に残したい」と広瀬知明報道部長。大震災検証の連載は6月以降も予定している。(審査室)

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