2011年 10月11日
いのちの意味を考える

西日本「生まれるということ」

 赤ちゃんが生まれる病院でいのちの意味を考えた企画。第1回は福岡大学病院で体重294グラムで生まれた正治ちゃんの話。帝王切開は予定日より3か月半早く、母親と対面した時、手のひらに収まるほどしかなかった。1か月で9割の子が亡くなると主治医は言う。人工呼吸器から口へ管、へその緒の管からはブドウ糖や昇圧剤が入る。母親は「どうして、こんなふうにしか産めなかったんだろう」と自分を責めて泣いた。穴のあいた心臓の治療も腸閉そくの処置もうまくいき、正治ちゃんは奇跡的に生き延びた。何が生死を分けるのか。

超音波(エコー)検査でおなかの赤ちゃんに異常が見つかることもある。もうすぐ1歳(掲載当時)の長崎市の太一ちゃんの場合、大動脈弁狭窄(きょうさく)症などで血液が全身に行きわたらず、出産直後に心臓手術が必要と分かった。「静かに見送るのも一つの選択肢」と主治医。両親は悩んだ。生まれてほしいと思うのは親のエゴかもしれない。母親は泣いた。福岡市立こども病院で出産。両手、両足に点滴の針が刺さる息子に対面して、また泣いた。1年で4度の手術に耐えた太一ちゃん、年内に5度目が予定されている。

最終回の6回では「死産」を扱った。場所は佐賀市の佐賀病院。眠っているように見える体はフリルのついた白い産着に包まれて母親に抱かれ、家族4人と記念写真を撮る。見出しは「祝福に包まれた別れ」。不思議に明るい。

8月に社会面で連載。担当は報道センターの南陽子、鶴加寿子両記者。企画は南記者が昨年から温めていたが、大震災の被災地にボランティアに行き、生の意味を改めて考えさせられたという。報道センターの田川大介部次長は「何が生と死を分けるのか、人知を超えたものがあるのではないか。考えるヒントになれば幸いだ」。(審査室)

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