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2011年 11月15日
2年続きの奄美豪雨、復興は

南海日日「あすへの教訓」

100年に一度の豪雨が2年続いた鹿児島県・奄美群島。お年寄り3人が亡くなった昨年10月20日の豪雨。今年9月25、26日、再び集中豪雨。復興の現状を報告し教訓を探るため10月に1面で5回連載した。

今回も昨年に匹敵する1時間に120ミリを超える雨量で、大美(おおみ)川が氾濫。龍郷(たつごう)町下戸口集落は濁流に襲われ、住民は子供やお年寄りを背負い公民館に逃げ込んだ。床上浸水27戸のうち22戸は昨年もで、やっと買い換えた電化製品や家具類は台無しになった。町営住宅に戻った柳力三さん(75)はため息をつき、泥につからなかったのは玄関の上の棚に置いた「靴3足だけ」という。高台の隣家に位牌だけ持って逃げた笹本正夫さん(65)の家は濁流が昨年の倍の天井近くまで達し、「もう(家を)離れるしかない」。雨の夜は不安で寝付けない人もいる。第2回で通信網の強化を訴えた。昨年は携帯も固定も通信不能になった。その反省から災害に強い衛星電話の導入が進み、奄美市は6台入れた。24時間放送を5日間続け災害情報や安否確認で大活躍した「あまみエフエム」もネットワークの拡大に努めている。

奄美地方も高齢者の一人暮らしが多い。第3回は住民同士の助け合いの大切さを強調した。大和村思勝(おんがち)集落では、助けを必要とする高齢者宅を地図に記して優先順位や救出経路を決めている。最終回は被害甚大の奄美市住用(すみよう)町で再起を期すサーファーの夫婦を取り上げた。昨年11月に「検証奄美豪雨」を掲載、「森林伐採も追い打ち」と警鐘を鳴らし、コラム「南海天地」や「記者の目」でも再三取り上げてきた。大野純一編集局長は「昨年は記者も連絡が取れなくなり命からがら生還した。まず連絡網の強化が最重要と痛感した」。今回は阿世知(あせち)昇、山崎みどりら6記者が担当した。(審査室)

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