2008年 8月5日
破綻は誰の責任か

一九九八年に経営破綻(はたん)した旧日本長期信用銀行(現新生銀行)の粉飾決算事件で、最高裁第二小法廷は七月十八日、証券取引法違反などに問われた大野木克信元頭取ら旧経営陣三人について、一・二審の執行猶予付き有罪判決を破棄して無罪を言い渡した。不良債権の厳格査定のため旧大蔵省が九七年に示した新基準を使わずに行った会計処理が違法か否かが最大争点となり、判決は「当時の会計基準は明確ではなく、長銀の決算処理が違法だったとはいえない」と判断した。整理回収機構が旧経営陣に損害賠償を求めた民事訴訟についても、最高裁は請求を退けた。十七本の社・論説が取り上げた。

経営責任は免責でない

〈釈然としない〉朝日「(7・8兆円もの公的資金がつぎ込まれた)長銀事件は司法の場ではすべて終わった。だが、刑事も民事も経営者が責任を問われなかったのは、ツケを負担した国民としてなんとも釈然としない。長銀の破綻は、バブルに踊って転落した日本の金融界を象徴する事件である。それを生んだ問題の構図は政官業にまたがっているが、政官のだれもバブルから金融破綻までの責任をとっていない。腹立たしいことだ」、中国「最高裁判決の行間から読み取れるのは、ある種のバランス感覚かもしれない。同じことをした銀行の中でも長銀だけに、長銀歴代の経営者の中でもバブルの尻ぬぐい役だった被告らだけに責めを負わせるのは酷ではないか、と。(略)見えない犯人を追及できない結末にいら立ちを覚える」。

〈経営責任〉読売「逆転無罪になったからといって、経営責任まで免責されたわけではない。(略)元頭取はバブル経済に差し掛かる86年、元副頭取2人も89年、取締役に就いて経営の一角を担い、不良債権を膨らませて処理を先送りした。長銀を破綻させ、金融不安を増幅させた責任は重い」、西日本「旧長銀の決算が不良債権の実態と大きく懸け離れていたのは確かだ。それは旧長銀が決算発表直後に二兆六千億円もの債務超過に陥り経営破たんしたことが示している。最高裁判決は四裁判官全員一致の結論だったが、そのうち一人が『財務状態の透明性確保の観点で大きな問題があった』との補足意見を述べたことを元頭取らは忘れてはなるまい」、中日・東京「旧長銀は鉄鋼や化学、自動車、家電など、日本の経済成長を支える産業分野に長期資金を供給する役割を担っていた。ところが、バブル期に不動産やリゾート開発などの分野への融資に急転換した。それがバブル崩壊とともに、不良債権化し、破たんの致命傷になった。(略)歴代経営陣は反省の念を強くしてもらいたい」。

〈行政責任〉北海道「忘れてならないのは、大蔵省の責任の重さだ。当時はまだ護送船団方式の金融行政が続いており、業界を指導・監督する立場にあった。一連の銀行破綻の背景には、過保護とも言える金融行政が生んだ業界の甘えがあったことは間違いない。不良債権処理を先送りして経営悪化を招いた責任は、銀行だけでなく、それを容認してきた大蔵省にもあったはずだ」、毎日「長きにわたって銀行の甘い自己管理を許してきた行政と、行政任せにしてきた政治の責任こそ、最も問われるべきだ。(略)巨額の公的資金を投入する以上、誰かを罰しなければならないといった空気はあっただろう。しかし、元頭取ら3人の責任に焦点が当たる中、解明すべき行政責任はあいまいなまま放置された」、山陽「長銀への公的資金投入をめぐっては与野党をはじめ、世論も経営陣の責任追及を求めた。その声に押され、東京地検特捜部が強制捜査に乗り出した。国策捜査だとの批判がつきまとっていた。反省すべきは、長銀問題を破たん時の経営トップの個人的責任に押し付けようとしたことだろう」、産経「不透明な裁量行政が、経営者個人の責任に転嫁される弊害と責任を行政当局は重く受け止めるべきだ」。

査定強化の取り組み後手に

〈残る課題〉高知「法律以外の面で解明すべき課題はある。BIS(国際決済銀行)基準による査定強化は一九八八年から始まったのに、なぜ日本の取り組みは後手に回ったのか。九七年の新基準はなぜあいまいだったのか。課題先送り体質とは完全に決別したのか。次の臨時国会で野党はこうした点をただしていく責任がある」、日経「旧大蔵省は『ハシの上げ下ろしまで』と、やゆされるほど銀行経営に細かい規制を加えてきた。その中でなぜ不良債権が積み上げられ、ついには経営破綻が続出したのか。政治家、日本銀行、各金融機関を含めそれぞれの失敗と責任はどこにあったのか。そこを公に検証する、大恐慌後に米議会に置かれた調査機関『ペコラ委員会』のような場が要る」。(審査室)

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