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2009年 7月7日
誤判の究明が不可欠
足利事件の再審決定をめぐる社説
取り調べ全面可視化を
4歳の女児が誘拐、殺害された足利事件で無期懲役が確定していた菅家利和さんは6月4日、逮捕から17年半ぶりに釈放された。再審開始も決まった。弁護側の再審請求を受け、東京高裁が専門家に依頼してDNA型を再鑑定した結果、菅家さんの型は、女児の下着に付着した体液の型と一致しなかったためだ。菅家さん逮捕当時の鑑定は精度が低く、間違った鑑定結果が科学的な証拠として有罪の根拠とされてきた。折しも裁判員制度がスタートした。釈放から再審決定まで70本を超える社・論説が取り上げ、冤罪(えんざい)をなぜ防げなかったのか、徹底した究明を求めた。
DNA鑑定の過信は禁物
《捜査・取り調べ》岩手日報「『髪を引っ張られたり、足でけ飛ばされたりもし、どうにもならなくなって「やりました」と言ってしまいました』。釈放直後の記者会見で、菅家さんは一語一語、絞り出すように言葉を発していた。(略)『当時の警察と検察官を許すことはない』という言葉が、一層重々しい。『自白』した瞬間の絶望を垣間見る思いがした」、琉球「菅家さんは公判途中まで犯行を認めていたことについて『傍聴席に刑事がいるのではとビクビクしていた』と述べ、自白を迫った警察捜査の苛烈(かれつ)さをうかがわせた」。
《DNA鑑定》読売「(鑑定の)精度が飛躍的に向上したのは、新たな分析装置が導入された03年以降だ。それ以前に実施されたDNA鑑定は4000件を超えるという」、毎日「DNAは万能ではない。不一致が無罪の証明となっても、一致が有罪の証拠とは限らない、と考えねばならない。技術が向上し、精度が格段に高まった今も、過信は禁物だ。(略)足利の事件当時と同じ鑑定方法で多数の有罪判決が下され、死刑を執行された元被告もいるという由々しき問題もある。鑑定の検証や証拠の見直しを急ぐ必要がある」、産経「精度が上がっても検体採取の際の人為的なミスなども考えられる。科学捜査の活用と同時に、真相を明らかにする地道な捜査能力の向上が欠かせない」。
《裁判所の責任》下野・長崎など「裁判所にも責任の一端はある。当時のDNA鑑定の信頼性に専門家から疑問が投げかけられる中で『重要な積極証拠』として評価。その後、弁護側が、女児の着衣から採取された体液と菅家さんのものと一致しない疑いがあると指摘したのに対し証拠能力を認定して、無期懲役が確定した。(略)裁判所は引き返す機会を何度も逸している」、朝日「一、二審、最高裁、再審請求一審の審理にあたった計14人の裁判官はなぜ誤ったのか。その答えを国民は聞きたいはずだ。(略)無実の男性が服役したあと真犯人が分かった富山事件の再審で、裁判所は誤判原因の解明に背を向けた。こうした姿勢は許されない。そもそも誤判を究明する仕組みがないことも問題だ」、北海道「(逮捕時の)鑑定の誤りを実証するため、弁護側は当時の担当技官らの証人尋問を求めた。ところが、東京高裁は弁護側の主張を退け、実質的な審理に踏み込まなかった。弁護側は裁判官の忌避を申し立てたが、これも却下された。これでは裁判所が冤罪(えんざい)の真相に目をつぶり、誤判から逃げているとみられても仕方がない」、中日・東京「逮捕から釈放までに十七年半もかかった。司法の真摯(しんし)な姿勢があれば、もっと早く菅家さんを救えたはずだ。検察庁が再検証するのは当然だが、裁判所も再調査して誤判防止に役立てるべきだ」、日経「1990年代以降、再審の門戸を狭める裁判所の判断が目に付く。(略)宇都宮地裁はDNA鑑定をやり直さないまま再審請求を退けた。再審請求の審理でも『疑わしきは被告人の利益に』が鉄則だ」。
裁判員候補の不安なくせ
《取り調べ可視化》日本海「警察の取り調べ状況や冤罪となった過程が連日報道され、裁判員候補者たちに大きなプレッシャーを与えている。鳥取県東部の30代の男性会社員は『もし裁判員になれば、提示された証拠をうのみにするしかない。足利事件で人を裁くことの怖さを強く感じた』と不安を口にし、『取り調べすべてを公開しないと、われわれが冤罪を起こす危険性もある』と指摘する。(略)一般市民が人を裁く場面は間近に迫っており、取り調べの全面可視化問題は待ったなしの状況である。早急に国会で論議すべき課題である」、京都「冤罪を招いたもう一つの要因は、(略)密室での取り調べと、根強い自白偏重の傾向だ。警察庁は取り調べの可視化を進めているが、裁判員制度の対象となる殺人や強盗傷害事件などに絞っているうえ録音、録画の場面を限っている。一部の可視化では、逆に裁判員を誤った方向に導く恐れがある。裁判員になる国民の不安をなくすためにも全面可視化が不可欠だ」。(審査室)