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2016年 11月1日
教師、俳人としての功績に光
愛媛「熊本の漱石」
英語教師にして俳人。文豪・夏目漱石には松山、熊本で過ごした5年余り、二つの顔があった。
愛媛県尋常中学校(現松山東高)への赴任から120年にあたる昨年は松山時代の歩みを振り返った。その続編として、第五高等学校(現熊本大)の教師に転じた熊本時代に光を当てた。岡敦司編集委員が3回にわたり熊本を訪ね、ゆかりの地や研究者を取材した。
英語を修める青年は、ある程度まで修めたら辞書を引かないで無茶苦茶に英書をたくさん読むと良い―。後に「現代読書法」(1906年)で説いたように、五高では原書をしっかり下読みして授業に臨むよう学生に求め、1年間に何冊も読み通した。単語の語源や文法を丁寧に説明していた松山時代とは正反対の授業だったという。
多読だけでなく、聞き取りも重視した。教師が読み上げた英文を書き取る問題を入学試験に導入したのは当時、画期的だった。
熊本時代の句は約千。生涯に詠んだ数の4割に上る。正岡子規に送り、批評を求めた句稿の中には「朝寒の顔を揃へし机かな」など校内の情景を詠んだものもある。五高の教え子で、後に物理学者・随筆家となる寺田寅彦も俳句にのめり込み、漱石の指導を仰いだ。
「愛媛ではやはり『坊ちゃん』の印象が強い。松山と熊本の二つの時代を比較しながら、英語教師であり、優れた俳人でもあった漱石の姿を伝えたかった」と岡氏は語る。読者から「入学試験に英語の聞き取りを取り入れた話は初めて知った」と驚きの声が寄せられたという。連載は9月16日付から全5回。
漱石と子規はともに1867年生まれ。来年は生誕150周年の節目を迎える。2人の足跡と交流をひもとく企画を、生活文化部と共同で年初から始める予定。(酒)