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2024年 10月8日
戦争の記憶 日米の視点から
愛媛「特攻兵の『帰還』 戦後79年えひめ」 8月17~31日(全13回)
1945年5月4日に、陸軍航空部隊の特攻で米駆逐艦に突入し戦死した松山市出身の堀元官一さん(当時18)の遺品が、駆逐艦の乗組員の家族により保管されていた―。家族は今年6月に同市を訪れ、堀元さんの腕章とみられる品などを堀元家に返還した。遺体から発見された手紙で、堀元さんの氏名は判明していたが、返せずにいた。昨年5月、堀元さんについて情報はないかとの連絡を受けた愛媛新聞社が堀元家と米乗組員の家族の橋渡し役を担った。
堀元さんの出身地を訪ね歩き、遺族にたどり着いた中井有人・デジタル報道部副部長が返還までの経緯をつづった。戦争関連の連載にこれまでも取り組んでいた中井氏。特攻は日本側の視点のみで語られてきた部分が多いとし「米国、日本の双方の視点を紹介できる稀有な事例だと考えた」と連載化の背景を説明する。
昨夏、堀元家の遺族と対面し、米乗組員の家族から返還の意思が示されていることなどを伝えた。悲惨な記憶から、わだかまりがあるかもしれないと考えたが、遺族は面会を望んだという。
米乗組員の家族らには、特攻による米側の被害を語ってもらった。自国中心の愛国的な記事にはしないとの思いがあった。駆逐艦では乗組員15人が死亡、30数人が負傷した。乗組員の息子に、父親は特攻への怒りを口にしなかったかと尋ねると「全くない。戦争ではそれが当たり前のことだと思っていたようだ」との答えが返ってきた。
面会では、両家族がわだかまりなく語り合った。中井氏は「憎しみを再生産することなく歴史を積み重ねた結果だろう」と記した上で「相互を同じ人間として見ることができ、加害と被害を客観的に捉える環境」の大切さを感じたとした。戦争は、国家により情報が遮断され「相手を『エイリアン』と見なすことから始まる」と強調。そうならぬよう物事を見る大切さを連載で訴えているとした。(斎)
※連載はこちらでご覧いただけます。(他社サイトに移動します)