ジャーナリズムの軌跡
過去の受賞作を振り返る

2021.12.07

地元紙の使命果たすために報じ続ける

御嶽山噴火災害の一連の報道と連載企画「火山と生きる 検証・御嶽山噴火」を中心とするキャンペーン(2015年)
信濃毎日新聞社・松井慎央氏に聞く

 2014年9月27日。長野県と岐阜県の境にある御嶽山が噴火し58人が亡くなる災害が起きました。信濃毎日新聞社は翌2015年、戦後最悪となったこの火山災害について、関係者の証言を基に原因や背景を探る連載企画を68回にわたって展開。噴火当日、山頂にいた登山者64人を含む関係者に話を聞き、当時の状況を報じました。さらに、「火山と生きるために――七つの提言」を発表。火山観測や情報連絡態勢の充実、国・自治体・専門家の間の連携、市民の防災意識向上や被災者ケアの大切さなどの視点に立ち、悲劇を繰り返さないための方策として読者に提示しました。他県の火山についても取材し防災体制の課題を伝えました。

 信濃毎日新聞社は一連の報道で火山列島・日本に警鐘を鳴らすキャンペーンを展開したとして2015年度新聞協会賞を受賞しています。噴火から半年後の2015年4月には犠牲者の遺族、行方不明者の家族、当日の登山者らに心境、防災対策に求めることなどを尋ねるアンケートに取り組みました。アンケートはその後も毎年9月に実施されています。

 噴火から7年。当時の取材班代表で、現在はデジタル編集部長を務める松井慎央氏に、キャンペーン報道の成果や現在まで続く噴火災害の影響、課題について聞きました(インタビューは2021年10月に実施しました)。

災害はまだ終わっていない

「七つの提言」では、火山観測・研究態勢の一元的な強化や国、自治体、専門家が「顔の見える関係」を構築する必要性、登山者の火山への意識を高める場の設置などを訴えていました。一連の報道を受け、悲劇を繰り返さないための防災対策はどの程度まで進んでいるのでしょうか。

松井氏 気象庁が噴火前に観測していた火山性地震の急増について、自治体や専門家まで含め知っていながら登山者にほとんど伝わっていなかったことが当時から問題視されています。報道の成果と一概に言うことはできませんが、こうした連携不足については一定程度、変わりつつあると言えます。

 名古屋大学が2017年、災害を教訓に、火山活動の分析や情報発信などに取り組む「御嶽山火山研究施設」を長野県木曽郡木曽町の三岳支所内に開所しました。研究者が常駐するようになったことで、自治体と研究機関の距離は近づいたと思います。

 2018年には長野県が認定し御嶽山の防災を啓発する「火山マイスター」制度ができました。2020年度までに計16人が認定され、噴火災害の教訓や御嶽山の魅力を発信する役割を果たしています。

 また、長野県と木曽町は来年、御嶽山の登山口と麓にそれぞれ「ビジターセンター」を開設する準備を進めています。噴火災害の記録映像や被災者の証言、歴史や文化など木曽地方の魅力も発信する計画です。訪れた人に火山防災を自らのこととして考えてもらうための施設で、今年9月には犠牲者の遺族が遺品の展示に協力する考えを示しています。そのことも記事で報じました。

 一方、関係者間の連携をはじめ全てが良い方向へ進んでいるわけではなく、多くの面で道半ばであるのが現状です。また、木曽町と王滝村に位置する長野県側からの登山ルートで山頂へ行けるのは木曽町からのみ。王滝村は、来年には王滝頂上から山頂に至る登山道の再開を目指すとしていますが、噴火から7年がたった今でも規制が残っています。御嶽山の噴火災害は終わっていません。噴火前に噴火警戒レベルを引き上げるのを怠ったとして犠牲者遺族らが起こした国家賠償訴訟も続いており、注視しています。

遺族への取材 地域報道の基礎に

犠牲者の遺族や行方不明者の家族、当日の登山者らに「噴火当時のことを思い出すことがあるか」などの質問に答えてもらうアンケートを毎年、実施されています。遺族らの思いを継続して伝える報道の根底にある問題意識についてお聞かせください。地方紙が火山災害を報じる意義についてどのようにお考えですか。

松井氏 被害のあった長野県の地元紙として報じ続ける使命があり、その使命を果たすためやるべきことに取り組んでいます。今年もある遺族から「信濃毎日さんは御嶽山の記事が手厚く載っている」と評価する声をいただいたと聞いています。そういう遺族の声に応えなければいけないという思いがあります。

 噴火から7年がたったことで、当時のキャンペーン報道に携わった記者の中には今年も関わっている人もいれば、異動などにより途中で外れた人もいます。私自身も、現在はウェブサイトでのニュース発信の責任者を務めています。当時から7年間ずっと関わっている記者はいません。その分、若手記者が御嶽山に登った上で取材するなど、組織として新陳代謝してきました。今年登山した新人の記者は「災害が忘れられることが一番つらい」という遺族の言葉が印象的だったと話しています。異動して担当が変わってもこの取材に関わった経験を生かしてほしいとの言葉も掛けていただき、それが自信につながったようです。新人として担当した記者が翌年、翌々年に「今年も取材したい」と申し出てくれる場合もあります。

 遺族の方も一人一人、災害に対する考え方は異なります。アンケートでは「御嶽山の噴火災害は『あなたの中』で風化し始めていると思いますか」と尋ねていますが、風化していないと答える人が多い。こうした実態をきちんと受け止めた上で報じなければならないと考えています。遺族の方に対する取材の経験を新聞社として積み重ねることが、地元の災害などを伝え続ける新聞社としての土台を作ることにつながっているように思います。もちろん、遺族だけでなく地域の住民や自治体に取材することも重視しています。

社会で進む風化食い止める

今年の報道では遺族や被災者らの高齢化が慰霊に影響を与えていることなどが指摘されていました。噴火災害の報道の焦点は現在、どのような点にあるのでしょうか。現在の課題についてもお聞かせください。

松井氏 新たに注目する必要のある課題は関係者の高齢化に加え、社会全体でこの噴火災害に対する風化が進み、忘れ去られつつあるという点だと思います。風化させてはならない、という危機感が強くなっています。

 アンケートは噴火から半年の2015年4月、取材で知り合った遺族や登山者のつてをたどって初めて実施し、噴火1年の2015年9月にも取り組みました。それ以降は毎年続けています。今年は64人に回答いただきました。「御嶽山の噴火災害は『社会の中』で風化し始めていると思いますか」の質問に「思う」と答える人の数が多いことが分かりました。関係者自身の中では風化していないけれど、社会での風化を感じていらっしゃる。そこに注目しています。また、多くの関係者が今も噴火当時を思い出すことがあると答えている点も重要だと捉えています。こうした心の痛みや思いを伝えることはこれまでも今後も変わらない報道の焦点です。訴訟で争われている「噴火前に噴火警戒レベルを引き上げるべきだったのか」という点も、当時から変わらぬ課題として残されています。

 遺族の中には、今年初めてアンケートに回答してくださった方もいます。大切な人を亡くしたことをどう受け止めるか、傷の癒え方は人それぞれです。当時は話せなかったけれど、何年かたって話してくださる場合もあります。遺族の心に土足で踏み込むことはあってはなりませんが、悲劇を多面的に伝えるという点で、これまでくわしく語られていなかった人の声を届けるジャーナリズムはとても重要だと感じています。忘れてはならないことです。

記者が登山 「自分も忘れないために」

キャンペーン報道の後、ご自身も御嶽山に登ったと伺いました。どのような思いがあったのでしょうか。

 亡くなった方のほとんどは噴火当時、火口から1キロ以内にいました。キャンペーン報道を展開した6年前、現場には入山規制が敷かれていました。記者は遺族や登山者、山小屋のスタッフから間接的に話を聞きましたが、悲劇が起きた現場を訪れることはできませんでした。私たちは、登山道が段階を経て開かれていくごとに記者を派遣してきました。

 仕事ではありませんが、新型コロナウイルス禍の以前にはキャンペーン報道に携わった有志で定期的に御嶽山に登り当時を振り返る機会をつくっていました。頂上で手を合わせ、火山灰なども目にすることで「ここで悲劇が起きた」のだと実感できました。私にとっては得難い経験で、これまでに3回登りました。また登るつもりです。そこには、亡くなった方に現場で祈りをささげたいという思い、どんな場所で災害が起きたか見ておきたいという記者としての視点があります。そして、自分自身がここで起きたことを忘れないために、という意味合いもあると考えています。

<プロフィール>

松井慎央(まつい・みつひろ)氏

信濃毎日新聞社
編集局デジタル編集部長
御嶽山噴火災害の一連の報道と連載企画「火山と生きる 検証・御嶽山噴火」を中心とするキャンペーンで取材班の代表を務め、2015年度新聞協会賞を受賞。