2022.06.30
隠された事実を暴き、歴史の歪曲正す
「旧石器発掘ねつ造」のスクープ(2001年)
毎日新聞首都圏センター・渡邊雅春氏(元毎日新聞社)に聞く
毎日新聞社は2000年10月22日、「日本最古の遺跡」とされていた上高森遺跡(宮城県)で、NPO法人「東北旧石器文化研究所」(2004年1月に解散)の藤村新一副理事長が発掘現場に石器を埋めている場面をビデオカメラで撮影しました。この映像に基づく取材により上高森など前期旧石器時代(※)のものとされた遺跡が捏造だった事実を突き止め、2000年11月5日付朝刊の一面トップで特報しました。石器を埋める場面のカラー写真3枚を一面に、捏造の過程が分かるよう映像から切り出した連続写真14枚を特別面に掲載。計6ページを使い捏造の一部始終を伝えました。
2か月以上に及ぶ粘り強い取材で捏造を暴いたこの報道により、毎日新聞社は2001年度新聞協会賞を受賞しています。歴史の歪曲を正し、教科書の書き換えや考古学界による再調査につなげるなど社会を動かしたと評価されました。
当時の取材班デスクで、現在は毎日新聞首都圏センターの代表取締役社長を務める渡邊雅春氏に、取材の様子や報道が社会に与えた影響などについて聞きました(インタビューは2022年6月に実施しました)。
※旧石器時代=一般的に①後期(1~3万年前)②中期(3~30万年前)③前期(30~250万年前)に区分されます。日本では、1946年に発見された岩宿遺跡(群馬県)によって「後期」が存在することは確定しましたが、「前・中期」をめぐっては1960年代から「ある派」と「ない派」が学界を二分する論争を繰り広げました。ところが1981年、藤村氏が座散乱木遺跡(宮城県)で「4万数千年前の石器」を発見したとし、同遺跡は論争に終止符を打つものだとして国指定史跡(2002年に指定解除)となりました。その後も「石器発見」は続き、70万年前とされた上高森遺跡まで20年に満たない期間で、日本の人類史は60万年以上も時代をさかのぼりました。
教科書の書き換えにつなげる
遺跡の捏造を暴いた報道により、日本に前期旧石器時代が存在するという当時主流だった学説が否定されました。報道が社会に与えた影響をあらためてお聞かせください。
渡邊氏 前期旧石器時代の遺跡の捏造は、歴史を歪曲したというより、勝手につくった、つまり歴史そのものを捏造する行為だといえます。今をつくっているのは過去です。過去の捏造は今につながるのです。ちょうど世紀の変わり目でしたし、取材班には「このような汚点を21世紀まで持ち越させない」という思いもありました。
一般社団法人日本考古学協会は2年以上の調査を経た2003年5月の最終報告で、9都道県の計162遺跡で捏造があったと断定しました。その多くは遺跡でさえない単なる原野や畑でした。日本列島に70万年前から人類が住んでいたなどというのは真っ赤な嘘でした。結局、日本の旧石器時代研究は1946年の岩宿遺跡まで戻り、半世紀にわたる研究が無に帰したのです。19冊もの高校の日本史教科書が訂正を余儀なくされました。旧石器捏造報道は、自らの取材によって隠されていた事実を明るみに出すという典型的な調査報道だったと思っています。調査報道はジャーナリズムの存在価値に関わる根幹的な機能であり、新聞社が持つべき役割の一つを果たせたと考えています。
発掘現場に張り込み
捏造の瞬間をビデオ撮影するまでの経緯や苦労をお聞かせください。
渡邊氏 取材の端緒は2000年8月25日、根室通信部の記者が「藤村氏の発掘成果はまゆつばだ」とする情報をつかんだことでした。当時の北海道支社報道部長の下、担当デスクである私と記者4人、カメラマン1人の計6人で取材班を結成しました。この段階では藤村氏による捏造の確証などはありません。むしろスジが良くない、可能性の低い取材だと感じていました。それでも、ほとんど知識がなかった考古学の資料を読み込み、研究者らに取材を始めました。著名な専門家のほぼ全員が「(捏造は)ありえない。プロが見れば分かる」という反応でした。
当時、新聞社が取材にビデオ映像を使うのは非常に珍しいことでした。しかし、張り込む予定の総進不動坂遺跡(北海道)の下見をしたところ、静かな未明・早朝はスチルカメラのシャッター音が予想以上に響き、遺跡からかなり距離をとらないといけないことが分かりました。ビデオなら撮影中も音はしないし、暗視モードなどの機能もあったというわけです。現場の記者とカメラマンは雑木林の木に登ったり、草むらに腹ばいになったりしてカメラを構えました。2000年9月のことです。結局、捏造の証拠となる映像の撮影には失敗しましたが、張り込んだ記者たちは藤村氏が発掘現場の地面を掘り、何かを入れるような動作をした後、地面を踏み固める様子を目撃しました。この時点で、我々は捏造を確信しました。その後、小鹿坂(埼玉県)遺跡、上高森遺跡と取材を継続しました。
決定的な瞬間を撮影できたのは10月22日、上高森遺跡でした。発掘調査の日程が2~3週間早まり、遺跡周辺で記者が身を隠せる草木がまだ生い茂っていたことも幸運でした。映像を確認したところ、藤村氏がポリ袋から石器を取り出し、発掘現場に埋める様子が鮮明に映っていました。張り込みは発掘最終日まで継続し、別の日にも藤村氏が石器を埋める場面を撮影しています。
社内議論も読者に説明
発掘捏造の初報は2000年11月5日付朝刊でした。撮影に成功してから14日かかっています。紙面化に当たり社内でどのような議論があったのでしょうか。
渡邊氏 わざと時間をかけたのではなく、結果として2週間が必要だったいうことです。石器を埋めただけでは捏造ではないのです。埋めた石器を正式な発掘作業で掘り出し、調査団が数十万年前の石器だと認定・発表して初めて捏造になります。だから、発掘最終日まで取材を続け、埋めた石器と発表が一致することを確認しました。その上で藤村氏本人から事情を聴く必要もありました。取材相手に不利な事実を紙面で報じる場合、本人の言い分を聞くのは鉄則だとも考えていました。
紙面化に当たっては、新聞社としては当時異例だったビデオ撮影を巡り、編集局内から「盗撮と誤解する読者がいるのではないか」との懸念が示されました。そこで11月5日付朝刊に「おことわり」を掲載しました。取材班は、公式に認知されている「遺跡」は公の場所だと判断していましたし、仮にプライバシーの侵害に当たるとしても、捏造を暴くという公益性が優先されると考えていました。
藤村氏を実名で報道するか匿名にするかについても議論がありました。藤村氏はアマチュア考古学者ですが、NPO法人の副理事長であり、講演活動やラジオ出演も多く、論文の共著者にもなっていました。実質的に「公人」だと判断し、実名を選択しました。一方、関係者の名誉やプライバシーを必要以上に損なうことも避けなければならないと決め、紙面で公開した以上の素材を公にするのには慎重な姿勢で臨むことも確認しました。このため、海外のテレビ局などからビデオ映像の提供依頼がありましたが、断りました。
冷静に報じる機運高まる
捏造が明らかになる以前の報道は、藤村氏の「歴史的発見」をどう伝えていましたか。また、特報によってどう変わりましたか。
渡邊氏 10万年前、20万年前、70万年前と日本列島の歴史が毎年のように塗り替えられていく、その興奮の中にメディアもいたと思います。そこにはロマンがあり、読者の関心も高かったのです。毎日新聞も含めたメディアは正式な報告書もないのに、まるで確定的な事実であるように大々的な報道を繰り返しました。報道は結果的に捏造を定着させるのに大きな役割を果たしました。そう批判されても仕方ないと言えるでしょう。このように旧石器発掘捏造報道は、メディアにも反省を迫るものとなりました。私は当時、特報により、冷静な報道が必要だという意識が記者たちに広がったと感じていました。発掘の成果に疑念を持つ専門家がいれば両論を併記するなど、成果について一方的な価値判断をしない記事が増えたと思います。
<プロフィール>
渡邊 雅春(わたなべ・まさはる)氏
毎日新聞首都圏センター
代表取締役社長
毎日新聞社の「旧石器発掘ねつ造」のスクープで取材班のデスクを務め、2001年度新聞協会賞を受賞。